反戦・反核の闘士の詩集

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希望の木にあなたの涙を注ぎなさい
わが子よ この木の果実は
暗闇でも育つ
(「母から娘へ ブーヘンヴァルト強制収容所 1944年」P69)
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『戦争と平和の岐路で』(結城文訳)は、米国を拠点に反戦・反核運動を続けるデイヴィッド・クリーガー氏の2冊目の邦訳詩集である。1970年代から2016年までに書かれた詩の中から、クリーガー氏本人が選んだ作品を英日対訳で収録している。本書に関する拙稿を詩誌「コールサック」の88号(2016年12月発行)に掲載していただいた。許可をいただいたので全文転載する。


【転載】
デイヴィッド・クリーガー英日対訳 新撰詩集
『戦争と平和の岐路で』(コールサック社)


平和の種を蒔く人


平和なときに平和を語るのはたやすい。社会全体が熱に浮かされているとき、大多数の人が信じる「正義」に異を唱えるのは、大変な勇気と覚悟を必要とする。『戦争と平和の岐路で』の著者デイヴィッド・クリーガー氏は、第二次世界大戦以降も戦争を繰り返してきた核大国の米国にあって、反戦・反核を叫び続けてきた稀有の人物である。

本書は一九七〇年代から二〇一六年までに書かれた詩の中から、クリーガー氏が選んだ作品を収録している。「戦争と平和についてより深く感じ、考えるきっかけとなるような作品を選びました」と、クリーガー氏は私の問いかけに答えてくれた。

氏はハワイ大学の大学院に在学していた一九六八年、ベトナム戦争のため陸軍に召集された。すでに反戦運動に身を投じていたクリーガー少尉は良心的兵役拒否の姿勢を貫き、やがて除隊となった。この頃に書かれた「実の事を言えば 我々は自分たちを爆撃しているのだ」には、「時空を越えて私に触れてくる真実は/生涯を通じて危害を蒙る危険がある」とある。当時の米国は「殺すことを拒絶して歩み去る者たち」が、社会的な制裁を受けかねない状況だったのだろう。平和を選ぶことに覚悟を必要とする狂気の時代といえる。

クリーガー氏は二〇代の若さで、自らの良心に人生を賭ける選択をした。そして一九八二年に「核時代平和財団」を創設し、会長として反戦・反核運動に身を捧げてきた。希望を挫くような現実を前にしても、平和を求める姿勢が揺らぐことはない。世界は変わる、変えられるという確信の強さに打たれる。

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クリーガー氏が会長を務める「核時代平和財団」の面々。
後列中央がクリーガー氏。


クリーガー氏の詩は、日本刀のように鋭く、強靱で、繊細だ。一切の無駄を省き、本質をずばりと突く。言葉は平易だが、そこに内包されている精神は決して安易なものではない。それは強大な権力と対峙し、悪意の批判や無理解の壁と戦うことで磨かれ、鍛え抜かれた詩句といえるだろうか。

「本書に収めた作品のうち、特に思い入れが深い作品は」という私の問いに、クリーガー氏は「イラクの子供」「被爆者の最敬礼」「私は拒否する」の三編を挙げてくれた。

「イラクの子供」は、医師になる夢を持っていた十二歳の少年、アリ・イスマル・アバス君の悲劇を取り上げたものだ。彼は自宅にいたところを米軍に爆撃され、両腕と家族を失った。「我々の爆弾が君を見つけたとしても かれらのせいではないよ//多分君が医師になれる筈でなかっただけさ」という詩句で、戦争遂行者の身勝手な論理を告発している。

「被爆者の最敬礼」は、広島の被爆者の一人である松原美代子さんについて書いたものだ。松原さんは自身の被爆体験を海外に伝えるため英語を習得し、世界を駆け巡る語り部として活躍してきた。「核兵器がすべての人類、すべての生命の敵であることを人びとに警告するため、積極的に多くのことを為してきた被爆者の心を表現したいと思いました。松原さんが苦しみながらする深いお辞儀は、不撓不屈の善意、平和、希望の精神を見せてくれます」とクリーガー氏は言う。

「私は拒否する」はイラク戦争で戦い、二度目の派遣を拒否した米陸軍の軍曹カミロ・メジア(メヒア)さんに捧げられている。メヒアさんは軍法会議にかけられ、従軍を拒否したために禁固1年の刑を言い渡された。クリーガー氏にとっては、ベトナム戦争時に戦うことを拒否した自身の姿と重なるものがあったのかもしれない。「すべての良心的兵役拒否者の勇気と、私は殺さないという断固たる決意を讃えたい」と語っていた。

いずれの作品も、戦争と平和という問題を、最も大切にすべき「人間」の視点から発想していく、氏ならではの問題意識がよく表れていると思う。

クリーガー氏は、核兵器の存在を許してしまう人間の弱さ、愚かさと戦い続けてきた。戦争より悪いものは「善良なアメリカ人たちの沈黙 徹底的な沈黙である」(「戦争より悪い」)と綴っている。無関心という敵は手ごわい。だからこそ氏は教育を重視し、若い世代に期待をかける。来日した際も、日本の若者たちと積極的に交流していた。

若者たちよ 歴史を学びなさい そして
考えに考えなさい あまりにも多くの者が
主義や国のためでなく 虚偽のために死んでいるのだ
(「考えに考えよ」)

米国の「核の傘」の下にいる日本は、唯一の被爆国という経験を生かせずにいる。しかし、傘の下から出るか、留まるかは国民の選択による。明確な意思表示をしないとすれば、それは国に自分の命の白紙委任状を渡すことに等しい。生死に関わる問題は、国に任せたり、周囲に左右されたりすることなく、どこまでも自分で悩み、考え、選択すべきだと思う。どんなときも平和への意思を表明し、その実現のために行動できる人間を育てる教育こそ、本当に必要な平和教育ではないか。

クリーガー氏に日本の読者へのメッセージをお願いした。

「私たちは戦争と平和の岐路に立たされており、平和を選択しなければなりません。核時代において『平和』とは、単に望ましいものではなく、私たち人類が生き残るために絶対不可欠なものなのです。日本の皆さんは被爆者の方々を支援すると同時に、二度と再び同じ経験をする人を出してはならないと強く訴えるべきです。皆さんの行動が、他の人々の希望になります。本書が日本の読者の琴線に触れ、核兵器のない平和な世界の実現を強く求めるようになることを願っています」

クリーガー氏は、世界に平和の種を蒔き続けている。本書に収められた詩も、一編一編が平和の種といえる。氏の姿は、戦争と平和の岐路に立って、平和を選ぶだけでは不十分であることを告げている。その道を確かなものにしていくためには、私たちもまた平和の種を蒔いて歩かなければならない。

最近の政治情勢を見れば、平和を選ぶことに覚悟が必要になる時代など来ないと言い切れる人はいないのではないか。手遅れになる前に、それぞれの立場で、それぞれのやり方で、平和の種を蒔いていきたい。おそらく平和とは、日々新たに選択し、獲得していく、そのプロセスそのものだから。

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詩誌「コールサック」88号 コールサック社