正義と真実と純粋さへの要求

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「眞實」を語ること。
「眞實」だけを口にすること(P3)
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『半月手帖』は、フランスの詩人・思想家シャルル・ペギーが自身の雑誌「半月手帖(カイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ)」に書いた文章を抄訳したものである。ペギーが「半月手帖」を創刊したのは1900年、27歳のときのこと。以来15年にわたり、資金繰りの苦しみや世間からの敵意・嘲笑にさらされながら、「人々の虚偽を剥がし、世間がかへりみない眞實にむかつて、時代の人々を導いて」(訳者「心おぼえ」P204)いった。

自分で記事を書くほか、原稿依頼、植字、校正、経理、発送まですべて自前でこなした。重労働にもかかわらず、購読者の3分の2は無料購読者だったという。事業としては無謀だったが、ロマン・ロランやジュリアン・バンダなど新時代の旗手となるべき作家らの作品を積極的に掲載・紹介し、彼らが世に出るきっかけをつくることに成功した。ロマン・ロランは「カイエ」創刊当時のペギーの様子を次のように回想している。

「ペギーが『カイエ』を始めたときには、
彼は一人で『カイエ』のために書いていました。
誰か他の人に分担させようということは
毛頭考えていませんでした(中略)
精根を涸(か)らすこの事業を10年以上も双肩にになうために
彼が費した精力のすべてを知る人は決してないでしょう。
冬の朝7時ごろ(まだ暗いのに、ペギーは郊外から来るのでした)
何度、私の扉をたたきに来て、
『ジャン・クリストフ』の校正刷りを私から受けとり、
ランプの明りで私と喋り、さっそくパリの正反対の位置にある
クレミュー印刷所のところにそれを持って行ったことでしょう!
不必要な言葉は決してひと言もありません。
彼が自分に許していた唯一の気晴しは、
行くたびに、本棚の上に整然と伸びて行く
『カイエ』の列を眺めることでした」
(ルイズ・レヴィ宛の手紙 1921年1月5日付
みすず書房『ロマン・ロラン全集【36】』所収
「どこから見ても美しい顔」宮本正清訳 P168~169)

本書には、ペギーの性格や考え方が端的に表れた独白が多く収録されている。

「人が『眞實』を缺いてゐる場合、
友よ、その人は正義にも缺けてゐるのだ」(P6)

「私は服従しない。
もしも正義と『眞實』とがそれを欲するならば」(P8)

「最もいけない無知は實行しないこと」(P13)

「私は一つの不徳として氣取りを憎み、
一つの汚辱として阿諛を憎む」(P17)

「勝利はあいまいな連中や弱者にはめぐまれぬ」(P23)

「讀むことを教へる、といふことは、その結果、讀むことができて、
すべての人が救はれる、といふことであつて、
たしかにこれが教育の唯一のそして眞の目的なのである」(P31)

「われわれは一人一人で進まう。
大ぜいで一緒に行かうとは思はぬ」(P32)

「眞の、そして永久のマジョリテ(多數黨)、
それは、不完全な民衆の重くるしい、だらしのないあつまりだ」(P33)

「教育の危機は教育の危機ならず。
そは生命の危機なり」(P35~36)

「手段には缺けていても、誠実心を持つてゐる者は、
誠実心に缺けてゐて手段だけをもつてゐる者よりも、
眞實に近づくチャンスをより多くにぎつている」(P49~50)

「裏切者は見捨てるべきではなく反駁しおとさねばならぬ」(P70)

「愛情は天才よりも稀であり、友情は愛情より更に稀である」(P71)

「己にまける、これのみが、
正確にして、全體的なる、唯一の敗北である」(P101)

「追憶と習慣とは死の先駆である」(P103)

「眞理を知つて、しかもこれを吐露せぬものは偽善の徒なり」(P112)

「デマゴーグの勝利は一時的だ。
けれども廢滅は永久だ」(P127)

「一人だけで救はれるな。一人だけを救ふな。
人らみなこぞつて救ひ、救はれよ」(P138)

「勝利を願求して鬪ふを欲せぬものは、
心がけ惡しきものである」(P171)

第1次世界大戦の開戦とともに招集されたペギーは、マルヌ河畔の激戦で、額を撃ち抜かれて死んだ。敵軍に真正面から立ち向かい、「撃て!撃て!」と絶叫しながら倒れたと伝えられる。

「莊嚴の死もて死せる者は幸なり。
神に向ひ、地に伏して、
大いなる戰に死せる者は幸なり」(P200)

死の直前に発表したこの詩句そのままの死だった。享年41歳。