澄んだ詩的空間が生む叙情

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ああ 無関心や忘却だけが
あやうく人間をささえているかに見える
(「空地の群落」から P68)
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本書は、村野四郎(1901~1975)の詩選集である。1926年の処女詩集『罠』から1974年の最後の詩集『藝術』まで、各詩集から数編を収録。詩論・エッセイとして「心象論」「詩の行切りについて」「わが国の新即物主義と超現実主義」「永遠なる芭蕉」を収めたほか、伊藤信吉と岡田隆彦による研究・解説を加えた。

村野四郎はドイツ近代詩の影響を受け、事物を冷静に見つめて感傷を表さない客観的な美を創りだしたといわれる。平易でありながら、あるべきところに置かれた言葉が的確に詩的空間を組み立て、確かな叙情を生んでいると思う。ニヒリスティックな作品が多く収録されているが、不思議に澄んだ静けさと美しさに心を奪われる。

【詩】
うつくしい思想が花ひらくかげに
私は目だたずに実をむすぶ

遠いこえが
近いこえの中に消されるように
私はたえず
私をうち消すものの中に生きた
昨日の花
おお 遠いこえ
(「遠いこえ」全 P24~25)

詩人よ わかいひとよ
さあ あなたの魂を
あだかも懸崖の菊のように
黒い虚空にかかげなさい
そこから あなたは見るだろう
とおくに 朝を
大きい夜の胸のあちらに
いち早く 新しい血がながれるのを
(「夜の中から」から P31)

藻のかげに
魚が隠れるように
私は時々
思想のかげにはいる
すると かくし残した尾や鰭が
うつくしく
ちらちら動いている
だが いつも
これを狙って
陰険な鉤は下りてくるのだ
(「魚」全 P56)

蟋蟀(こおろぎ)がないている
蟋蟀がないているな
風もふかない
雨もふらない
しいんとした乾いた夜の
どこかの土の中から
もういくばくも時間がないというように
せわしく私に話しかける
きいていると
あかりの暗い部屋の
しめった畳のむこうへ
いつか しょんぼりと坐り
身の上を話しはじめた肺の悪い人のように
息切れさみしく
とぎれ とぎれに話しかけてくる

ぼうぼうと枯れた過去には
もう何の未練もないという
これからは すぐ
氷のように張りつめた
何もない世界へはいっていくのだという
あの声は
どこか幽霊のこえに似ているが
なんて澄みとおった声だろう
あれは果して
一匹の虫のこえなのであろうか
何かの言葉ではないのか

掌のなかへ額をのせると
人間の頭はこんなに熱い
不確実なもののために 明日のために
こんなに無駄に燃えているのだ

ないている ないている
蟋蟀が
冬に傾く夜の中で ないている
(「秋の夜の声―ラジオのための作品―」全 P57~58)

村野四郎には神がないと
ぼくの詩の友はいったが
それなら あれは何だろう

朝の戸口のところで
洗滌器を手にさげて
満足そうに立っている あれは

痛みと痺れの向う岸で
もうこれ以上 立っていられないと言うように
塵埃車によりかかって
とおくの青い流を見ている
あの影のごとき形象
あれはいったい誰だろう

ぼくの中には 神がないと
それは おそらく本当だろう
ぼくには神をおく場所がない
ぼくは寺院でもなく
ぼく自身がその神なのだから

リルケの神は存在であった
ぼくもまた燃えつきる存在
崩壊しつつある神なのだから
(「無神論」全 P60)

―へんな運命が私をみつめている リルケ

顎を むざんに引っかけられ
逆さに吊りさげられた
うすい膜の中の
くったりした死
これは いかなるもののなれの果だ
見なれない手が寄ってきて
切りさいなみ 削りとり
だんだん稀薄になっていく この実在
しまいには うすい膜も切りさられ
もう 鮟鱇はどこにも無い
惨劇は終っている

なんにも残らない廂から
まだ ぶら下っているのは
大きく曲った鉄の鉤だけだ
(「さんたんたる鮟鱇」全 P62~63)

荒れはてた空地の
道まであふれた あれちのぎくの中に
腐った鉄骨の端がすこし見える

いつも危険を感じて そこを通るのに
ふしぎに誰も傷つくものがない
美しい婦人たちは
うすいスカートを ひらひらさせて
こともなく其処をゆきすぎるのだ
ああ 無関心や忘却だけが
あやうく人間をささえているかに見える

錆びた記憶を埋めかくし
あれちのぎくは いちめんに伸びひろがり
もちろん このあたり
ぼうぼうとして地平などは見えない
(「空地の群落」全 P67~68)

つまらぬ表情はやめてください
そのような精神の痙攣は無意味です
どうぞ其処を退いてください
あなたが居るので
風景が見えない
あなたはいつも遮るのです
あなたの背景と ぼくらの前景とを
あなたは まったくぼくらの眼帯
そのかげで
ぼくらの眼は充血している
あなたが拡げる 漠然とした
秘密の豊穣のうしろには
永遠など在りはしない
ぼくらが知りたくおもうのは
いたましい変化の実相
あなたが背後にかくしている
荒涼たる断崖と 新しい骨だ
大きな表情のかげで
ぼくらの表情は見えないだろうが
あなたのおかげで ぼくたちには
ぼくらの風景が見えないのだ
(「モナリザ」全 P78)

追われどおしに 追われて来た
蹄も割れ 眼球も渇き
空と森が遠くに後退しはじめた

わたしの屍体が
さみしい茨のなかにころがっていると
やがて 誰かが近づいてきた
愛と恐怖の面もちで
血に濡れている獲物を
そっと見とどけにきた猟人のように
魂が わたしを探しに来た
(「死」全 P81)

詩人はいつでも、
魂の故郷にむかう一人の薄明の帰省者であり、
また永劫の旅人でもある。
(「後書」から P93)

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「現代」がいかなるものであるにせよ、
それが過去と未来との接続点であり、
又その中心的地点でもあるかぎり、
現代をもっともよく生かすことは、
また過去と未来とを生かすはずのものである。
外観上ぼくたちの詩がどのように見えようと、
ぼくらが最も誠実に現代を生きぬくことによってのみ、
その内容が与えられるものだと、ぼくは考えたい。
(「後書」から P95)

夫人は まいにち
腸詰を切る
たくさんの子どものために

腸のあたらしい断面
死とは
破綻でも終末でもない
ふとした生の
一つの切り口にすぎない

そして生とは また
死によってあらわにされた
血の記憶
おぼろげな肉の模様だろう

よるべないたましいよ
どこにも冥府などはない
すべては 厨房内の出来事である
(「鎮魂」全 P105)

【詩論・エッセイ】
私は、いまでも彼の「不易流行」という言葉に強くひかれる。
さんざんヨーロッパの詩論を渡り歩いて、
結局帰ってくるところは「不易流行」であった。
この思考は、今日のモダニズムにも
重大な反省を呼ぶように思われる。

芭蕉が、これを考えだしたのは晩年のことで、
『おくのほそ道』の中頃のことのようだが、
これを祖述した去来の文章が、
またよくその真意をつたえていたようだ。

「句には千歳不易のすがたあり、一時流行のすがたあり、
これを両端におしへたまへども、その本は一つなり。
一なるはともに風雅のまことをとればなり。
不易の句を知らざれば、本立ちがたく、
流行の句を学ばざれば、風新たならず。
よく不易を知る人は、往くとしてうつらずといふことなし。
たまたま一時の流行に秀でたるものは、
ただおのれの口実のときに逢ふのみにして、
他日流行の場合にいたり一歩も歩むことあたわず」

ここにいう不易とは、
今日的にいえば勿論「芸術の超時代性」、
流行とは「芸術の即時代性」に当たるわけだろうが、
流行をも考慮した点と、不易性と流行性の在り方を、
的確に区別した点で、つくづく芭蕉という男は
信用できる詩人だったと思われるのである。
(「永遠なる芭蕉」から P126~127)

どんな詰まらぬ現実からも、
詩的空間を創りだせるということは、
それだけ深く造花の中にふみこんでいるということであり、
それにともないことばが
それだけ広大な認識のヒダをもっていなければ
不可能だということでもあろうか。
(中略)
蛙が水にとびこんだり、ホタルが草の葉から落ちたり、
あるいは枯枝にカラスが止まったり、
そんな取るにたりない現実から詩の創れた詩人は、
ヨーロッパにも一人もいない。
(「永遠なる芭蕉」から P131~132)