蒐集のルール

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私は文学的な自筆原稿だけを集めております
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小説『アモク』、戯曲『エレミヤ』、歴史小説『マリー・アントワネット』『ジョゼフ・フーシェ』『権力とたたかう良心』『人類の星の時間』などの傑作で知られるオーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクの自筆署名が入った書簡である。1924年10月24日付。発信地はザルツブルクだが、宛先は不明。

  残念ながら、私は劇場のサインに興味がありません。
  私は文学的な自筆原稿だけを集めております――

等と書いている。ツヴァイクは作家としてだけでなく、歴史上の偉人たちが遺した自筆原稿や遺品の蒐集家としても知られていた。本書簡は、自筆サイン類の目録を送ってきた業者への返信かもしれない。

ツヴァイクの自筆コレクションは膨大なもので、個人のコレクションとしては群を抜く規模と内容を誇っていた。2005年にウィーンで刊行されたツヴァイク・コレクションの目録には、約1000点におよぶ自筆資料が収録されており、近代欧米の歴史がそのまま詰まっているかのように感じる。河原忠彦著『シュテファン・ツヴァイク』中公新書から、ツヴァイクの自筆蒐集に触れている箇所を抜き出してみる。

「ナチの暴挙におびやかされ、危機のせまった32年になって、
ツヴァイクがオーストリアを決定的に去ろうとしたとき、
一番の障害となったのは
この途方もない容積を占めているため他の町へ輸送できず、
保管も不可能になった蒐集品の山であった」(P129)

「カプツィーナーベルクのツヴァイクの城館は
いつしか個人の博物館になっていた。
ツヴァイクの蔵書は優に百万冊をこえ、
彼のあつめた芸術家の自筆原稿の計り知れぬ宝物が
古風なたんすや長持ちに保管されていた。
これに加えて、自筆原稿カタログの特別蒐集が
数にして四千個に及んでいた。このなかには
ゲーテのオリジナル自筆原稿目録も含まれていた」(P129)

「とりわけこの蒐集品の重要な部分は貴重な楽譜の原稿で、
なかでもベートーヴェンとモーツァルトのそれからなっていた。
これはいうまでもなく文化宝庫であって、
カプツィーナーベルクへの遍歴に無数の訪問者をさそった所以である」
(P129~130)

「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記の一頁とか、
ニーチェの『悲劇の誕生』の原稿などがふくまれ、
ゲーテ9歳の『テキスト』や晩年82歳の最後の詩篇や
『ファウスト』の二つ折りフォリオ判の一頁などが見られた」(P130)

ツヴァイク自身が自筆蒐集について書いた文章もある。日本語で手ごろに読めるのは、みすず書房の『ツヴァイク全集』だ。第19巻と20巻に収録された自伝「昨日の世界」に、蒐集に関する記述が多数見られる(下記に引用)。ツヴァイクは初め、有名人のサインを追い求めていたが、次第に創造の過程がうかがえる草稿類を求めるようになった。彼独自の興味と蒐集のルールは、現代のコレクターにとっても興味深いのではないか。

【原田義人訳『ツヴァイク全集【19】』
「昨日の世界Ⅰ」みすず書房から】

「最初の住居にはまだ、
たくさんの貴重なものを詰め込むわけにいかなかった。
しかし、あのロンドンで手に入れた絵はすでに壁を飾っていたし、
気力のこもった、のびのびとした筆蹟で書かれた
ゲーテの最も美しい詩のひとつもそうであった。
――それは当時にあってはまだ、
私がすでにギムナジウムの頃から始めた
筆蹟のコレクション中の逸品であった」(P241)

「われわれは当時、
詩人や俳優や歌手のサインを追い求めた。
勿論われわれの多くは、彼らの詩つくりと同様、
この楽しみをも学校を出ると同時に捨ててしまった。
ところが私においては、天才的な人物たちの、
この地上的な影に対する情熱が、高まり、
同時に深まるばかりであった」(P241)

「私が求めたものは、
詩や作曲の下書きとかプランであった。
一芸術作品成立の問題は、
伝記的な形においてであれ
心理的な形においてであれ、
ほかのあらゆるものにもまして、
私の心を捉えるものであったからである。
ひとつの詩句やひとつのメロディが
天才の持つ眼に見えぬものから、
ヴィジョンや直観から、
文字に定着されて地上的なものとなってゆく、
あの最も秘密にみちた過渡の瞬間。
それは一体、闘いぬかれた、
もしくは恍惚状態に追いやられた、
巨匠の下書きの上におけるほど、
聴き取られ、再検討されるところがどこにあろうか。
一人の作家の出来あがった作品を眼の前にするだけでは、
彼について十分には知りえない。
そして私は、偉大な創造を完全に理解するためには、
それを完成状態において見るだけではなく、
その生成過程においても窺わなければならない、
というゲーテの言葉を信奉していることを
告白するものである」(P241~242)

「純粋に視覚的に言っても、
ベートーヴェンの最初の草稿は、
私に全く肉体的に興奮させるような
印象を与えるのであった。
なぜならばそれを眺めていると、
精神的に非常に感動せしめられるからであった。
荒々しい、もどかしげな走り書き、
始められ、計画された
さまざまなモティーフの乱れた錯綜ぶり、
そのなかで二、三の鉛筆の走り書きに凝縮されている、
彼のデモーニッシュに充実した天性の創造的激情。
私はこのような汚れた解読し難い紙片を、
ほかの人人ならば完成した像に対してするように、
魅せられ、惚れこまされて凝視することができる」(P242)

「私が幾十年のあいだ愛していた詩のどれかを、
初めてその下書きにおいて、
その最初の地上化の状態において見るということは、
畏敬にあふれる宗教的感情をかきたたせる。
私はほとんどそれに敢えて触れる気にはなれない。
このような紙片のいくつかを所有するという誇りには、
さらに、それらを獲得しようとし、
それらを競売や目録で追い求めるという、
ほとんどスポーツのような刺激が伴うのである」(P242~243)

「当時はまだ私の文学上の収入は、
大規模に買うだけの資力に達していなかった。
しかし、蒐集家は誰でも、ひとつの作品に対する悦びは
それを手に入れるためにほかの悦びを捨てねばならないとき、
どんなに高まるものであるかをよく知っている」(P243)

「私は詩人であるすべての友たちに寄進させたのである。
ロランは彼の『ジャン・クリストフ』の一巻を、
リルケは彼の最もポピュラーな『愛と死との歌』を、
クローデルは『マリアへのお告げ』を、
ゴリキーは大きな草稿のひとつを、
フロイトは論文のひとつを、それぞれ私に与えた。
彼らはみな、どんな博物館も彼らの手蹟を
私ほどには愛をもって守らないだろう、
ということを知っていたのである」(P243)

「私はつねに、
天才精神が地上の形をとって顕現している
あらゆるものに対する特別な畏敬の気持を持ち合わせている。
そして、あの原稿の紙片のほかに、
私が手に入れうる限りの遺品を併せ持っていた私の家の一室は、
(中略)ひとつの礼拝部屋であった。
そこにはベートーヴェンの書机と小さな手さげ金庫とがあった。
彼はその金庫から、すでに死に触れられた震える手で、
女中にやる少額の金をなおも取り出したのである。
そこには彼の台所帳の一頁があり、
彼のすでに灰色になった捲毛があった。
ゲーテの鵞ペンを私は多年、ガラスのなかにしまいこんでいた。
それを、とるにたらない自分の手にとろうとする誘惑から
のがれるためであった」(P244~245)

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【原田義人訳『ツヴァイク全集【20】』
「昨日の世界Ⅱ」みすず書房から】

「私の筆蹟コレクションには、
あらゆる時代の最大の巨匠たちが
彼らの手の跡をもって相集っていた」(P514)

「初めの頃にはあらゆる初心者と同じように、
私もただ名前を、すなわち有名な名前を
かき集めることだけを熱望していた。
次には心理的な好奇心からむしろもっぱら原稿を集めた――
作品の草案か、あるいは断片である。
それらは私に、同時に一人の愛する巨匠の創作法への洞察を与えてくれた。
無数の解きえぬ世界の謎のうち、最も深く、
最も神秘的なものはやはり創造の秘密というものである(中略)
ひとたび創造が完成して形成されるや、
芸術家はもはやその根源を知らず、
その生長と生成とを知らない」(P515)

「あらゆる偉大な詩人、哲学者、音楽家たちの
このような紙片、このような訂正稿を集めて、
彼らの仕事の闘争の証左とすることが、
私の筆跡蒐集の第二の、意識的な段階であった」(P515~516)

「私はこの三、四十年の蒐集のうちに、
筆蹟の領域における第一の権威となり、
どの重要な紙片についても、それがどこにあるか、
誰のものか、どうしてその所有者の手に渡っていったかを、
知るようになった。したがって真の筆蹟通となったのであり、
真偽を最初の一瞥で決定でき、評価ではたいていの
職業的専門家よりも経験に富むようになったのである」(P516)

「私の蒐集の野心は、次第にさきへ進んでいった。
世界文学や音楽の単なる筆蹟のギャレリー、
無数の種類の創造方法の鏡を持つだけでは、
満足できなくなった(中略)
私の蒐集の最後の十年に企てたことは、
それを絶えず高尚化してゆくことであった(中略)
私は一人の詩人について、ただ彼の詩のうちの
ひとつの筆蹟だけを求めるのでなく、
その最も美しい詩のひとつ、できるならば、
インスピレーションがインクか鉛筆で
初めて地上の形をとって書きおろされる
最初の瞬間から究極的な永遠性に到達しているような
詩のうちのひとつの筆蹟を求めるようになった。
私は不死の人々について――
なんという大胆な不遜さであったろうか!――
彼らの筆蹟の遺品の中でも、
まさに彼らを世界に対して不死たらしめたものを
欲したのである」(P516~517)

「私は彼(※ベートーヴェン)の部屋の
まだ残っている調度の全部を手に入れることができた。
それらは彼の死後競売に付され、
宮中顧問官ブロイニングのものとなっていたのである。
何よりもまず大きな書きもの机。
それらの引出しには彼の二人の愛人、
ジュリエッタ・グイチャルディ伯爵夫人と
エルデーディ伯爵夫人の肖像が蔵われているのが、見出された。
彼が最後の瞬間までベッドのそばに置いておいた金入れの小箱、
ベッドのなかで最後の作曲や手紙を書きおろすのに使った小さな書きもの台、
死の床において切られた白い捲毛の遺髪の一束、
葬式の案内状、彼が震える手で書いた最後の洗濯物用の書附、
競売のときの家財目録の資料、生計を立てるすべなく取り残された賄女ザリのための、
ベートーヴェンのウィーンの友人たち全部の○金申込みであった」(P520)

「ほんとうの蒐集家には偶然がつねに親切な手廻しをしてくれる」(P520)

「私は自分をこれらのものの所有者であると感じたのではなく、
ただ一時の保管者であると感じたということは、無論である。
持つという感情、自分自身のために持つという感情が、
私をそそったのではなくて、統合するという魅力、
ひとつのコレクションを芸術作品につくり上げるということが、
私の心をそそったのである。このコレクションによって、
永遠の生命の全体として自分自身の作品よりも
価値のある何ものかを私はつくったのだ、ということを意識していた」(P521)

「しかしわれわれ試煉を受けるべき世代には、
自分の生命以上のさきのことを考えることが拒まれているのである。
ヒットラーの時代が始まり、私が私の家を去ったとき、
蒐集することについての悦びは終り、またおよそ
何かを永続的に維持するという確実さも終ったのであった」(P522)