徹底した真面目さ

~~~~~~~~~~
彼の手渡す芸術上の真は、
姿をかえていつか極東に再生するであろう。
極東は芸術的肥沃の地である。
世界の芸術を健康に導く者が何処から出るか、
其は天が知っている(P125)
~~~~~~~~~~

IMG_20200501_062721.jpg

「私はロダンによって救われ、ロダンによって励まされた」と書いた、詩人・彫刻家の高村光太郎によるロダンの評伝である。昭和2年(1927年)、アルス美術叢書の第24編として出たもの。ロダンの作品など図版57枚を収録している。

消えかかっているが、本の扉には高村の自筆で

辛抱は精力を教へる。
そして精力は永久の若さを與へる。
    「ロダンの言葉」より
             高村光太郎

と書き込まれている。

IMG_20200501_062609.jpg

この本の性格について高村は、「此書はロダンを外から批評して書いた本ではない。世界の幾多の批評家がロダンを寸断する。私は彼等の殆どすべてに不満である(中略)私は正直に、しかし遠慮せずに書く可き事を書いた。私の内にまだ生きているロダンをそのまま書いたのが此本である」(P4~5)としている。

奇をてらわず、時流におもねらず、自己の内なる感動に徹することで新時代を切り拓いたロダン。その徹底した真面目さが、高村の気質と響き合うところがあったのだろうか。ロダンの生きざまを通して、40代の高村自身の芸術観が伺える興味深い一冊だ。

【引用 ※原文は旧字体・旧仮名遣い】

「芸術的真は多種であり得る。芸術的真は転々する。
しかし、真なる所以は一である。時代は変る。
しかし真の真なる所以は時代と共に変らない。
私は如何なる時にも芸術的真のみを見ようとしない。
真なる所以に盤石の基礎があるか否かを見る。
真とその所以とに如何なる必然があるかを見る。
自分に最も遠い芸術的真に遇っても、
その必然の連鎖を看取し得れば納得する。
最も近いものでも其の連鎖の怪しいものには再考する」(P7)

「此本がロダンの芸術について語るよりも
ロダンの人について多く語る傾のあったのも私としては自然である。
私は地球を丸いものとして見る。西瓜の輪切のようには見ない」(P7)

「秦西人によって寸断せられたロダンを、
そのまま私は受け取らない。
私はロダンを一個の全球として手に受ける。
一個の単純な美的存在として認識する。
いろんな名前をみんな洗い去った一個の
『お早う、いかがですか』の人間として看取する。
そうしてこそその無限の妙味を感知する。
静かに横たわるロダンの写真は、其故にただ美しい。
その美しさは私を分析に導かないで総合に導く。
私は蕭然として彼の一生をおもう」(P8)

「彼の研究の仕方は実にロダン流である。
空手のまま直接に当体に触れて、会得出来た所だけを確実に会得し、
出来ない所は正直にまだ出来ないと自認して
其を頑固に執拗に幾年かかっても心から離さない。
其うちに又思いがけない事を会得する。一歩一歩と進む。
決して学者のように大袈裟な理解の風呂敷を広げない。
又文学者のように無駄な空想の翼を張らない。
実直に、物について、極めて単純な初歩の事から考え始め、
いつでも自分の内なる感動を源として見てゆく。
定説に従うのでもなく、又異説を樹てるのでもなく、
唯誠実に自己の会得を獲得してゆく」(P75)

「彼は世上の芸術を改革しようなどという野心は
更に持たなかった。彫刻の世界にもぐり込んで牛のように歩いた。
『進歩は実に遅く実に不確かなものです。
やがて出しぬけに其が啓かれます。人は前へ出ます。
けれども暗中模索の幾年かの後の事です。
到着点を人間の耐忍力にとって余り遠すぎると考えてはなりません。
年取ってからでなくては其処へゆけません。
若い時に、青春の元気を一ぱいに持っているときに、
其を考えるのはつらいものです。』
何という苦労をしぬいた人の言葉だろうと思う」(P76)

「彼は少しも自分を特異なものと思っていない。
独創を重んじるなどという事は彼にとって甚だけちに見える。
『諸君は今日の人々が意味する独創とは何かを知っているか。
其は類から離れる事である。昔の人はこんな野蛮な思いつきを
生むのを許さなかった。』又、『彫刻に独創はいらない。生命がいる。』
彼は一切の表層のものを払いのけて本質に、
もっと本質に入り込もうとする」(P77)

「此の『聖ジャン』も最初は左の肩に十字架を担いでいたのであるが
鋳金になってから除いたのである。状態的なもの、説明的なものを
どしどし棄てて行った。此像も預言者が歩行して説教している状態を
作ったのでも何でもない。人間が歩くという動勢によって起る
人体の彫刻美を表現したまでである。真の彫刻を見る時は
いつでもそういう見方で接しなければいけない」(P83)

「此世の苦悩を喜への入門と見る。
『苦痛こそ生活のサクラメントである』と彼はとうとう言う事が出来た。
此の言葉は実に深く又おそろしい」(P114)

「欧州大戦は老年ロダンに大衝動を与えた(中略)
一九一四年十月一日ロマン ロランに宛てた手紙の中に、
『戦争というより以上のものがある。今起りつつある事は
世界に落ちかかる刑罰のようである』と書いている」(P122)

「自己の巻き起こした新時代を彼は人類に手渡す。
大戦以後又新しい歴史が始まる。彼の手渡す芸術上の真は、
姿をかえていつか極東に再生するであろう。
極東は芸術的肥沃の地である。
世界の芸術を健康に導く者が何処から出るか、
其は天が知っている」(P125)