自らの〈詩〉の真実を生き抜く

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夏が大空の中に
花火のやうにひらき
きらめく花々は
地上に神の衣を飾る。
(片山敏彦晩年の詩から・P266)
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著者自筆の署名箋入り

『地下の聖堂』は、フランス文学者で詩人の清水茂氏による片山敏彦をめぐる随筆である。1988年刊。「片山敏彦によって開示された世界で、私は育った」(P271)と綴る著者と片山の交流は1950年4月、片山の著書『詩心の風光』に「自分の魂を光の矢で射抜かれた」(P270)という17歳の清水青年が、東京・荻窪の片山宅を訪問したことに始まる。当時51歳だった片山は、清水氏を〝若き友人〟として遇したという。

片山敏彦について考えるとき、フランスの作家ロマン・ロランを忘れることはできない。「片山さんはロマン・ロランを終生師と仰ぎ、どのような状況にあってもこの師の精神から離れることはなかった」(P109)からである。片山は20歳のころ、ロランの『ミレー』と『ベートーヴェンの生涯』を読んで「或る人間的に厳粛な光」(片山・P111)を感じ、ロランを「自分の生涯の案内者としてひそかにえらんだ」(片山・P112)のだった。

片山が師・ロランから継承した精神とは何か。著者はその一端を「人間全体の運命を自分自身のものとして生きようとする自覚的な意識」(P21)であるとし、その根底には「個である存在が実在的なもののひろがりと一つになることを希求するミスティックな宗教感情」(P61)があるとしている。片山は次のように綴っている。

「現在の混沌の中で新しい善意を鍛え、涙の味のするすがすがしい希望の草の葉を噛みしめて混迷にも拘(かかわ)らずなお且(か)つ存在を頌(ほ)め得るまことの理由を示すことは今日に於ける詩心の使命であろう。偽りなく頌めるためにこそ詩心は生きる」(『詩心の風光』の序・P28)

「この世だけのものではどうしてもやり切れない。
この世以上のものとの接触の感じによってのみ自分の生活は落ち着きを得る。
この世は仮りの世という気もちには深い実感的根拠がある」
(1929年11月23日のノート・P182)

「わが生とは
限りのない一つの海の
をぐらい波の奥から照る
光の方向を感じつつ みづからの
影の騒音と戦ひそれに耐へて
わが悲しみとわがよろこびとを
木の果のやうにみのらせること。」
(「わが生とは」・P60)

こうした意識から片山は、「人間が此の世に生きているのは軽々しく死ぬためではなく、本当に生きるためであり、最善の〈我〉を生かすためであり、しかもまことの幸福の探求は神の探求のようなものだと言うことを文学の仕事で大きく深く高く真実に表現したい」(片山・P106)と望む。具体的には1920年代からロランの翻訳や文学雑誌の創刊を始め、日本人の精神的な支柱が揺らいだ太平洋戦争から戦後の高度経済成長期にかけて、海外の優れた芸術作品を日本に紹介することに努めた。

著者は「片山さんが希(ねが)ったことのすべては、実際、私たちの国では不必要なものであったのだろうか。さまざまな異質な文化に触れつつ、その根元に人間的な普遍性を見出すこと、さらに、この理解を通じて私たち自身の世界像を豊かにすること、同時にまた、この普遍的なものを基盤として私たち自身の創造するものを鍛えなおし、そこに新たな人間的価値を賦与し、世界の全体的な創造性に自らも参与すること、――このことはほんとうに私たちには不必要なのであろうか」と問いかける。そして「もしそうでないのであれば、たとえ僅(わず)かにせよ、こうしたことになお意義が認められるのであれば、彼が残した仕事のすべては、この国の現在の知的、文化的状況がどうであれ、いまもなお意味をもち、生きつづけているはずだと私は思う」(P254~255)と綴る。

片山は死を前にした病院のベッドでもペンを執り続けた。右半身が動かなくなると左手にペンを持ち替えて書き続けたという。そこで綴られた断片は、「すべての無用なものを削ぎ落して、その生涯が目ざしていたものをはっきりと私たちに提示してくれている」(P262)。

「中心の神との一致
それによる自由はつよく
死に勝ちて生く」
(片山・P264)

「光の群が来る。
遠くから来る。
世界の
ほんたうの
調和の道を」
(片山・P265)

絶筆は1961年6月26日に記された言葉――

「光へのセレニテの郷愁。」(片山・P267)

「これほどまでに自らの〈詩〉の真実を生きとおした人は、それほど数多くはあるまいと思う。〈詩〉を生きるということは、片山さんにとっては、謂わば信念の行為であり、また信仰の行為でもあった。周囲の状況がどのように変化しようとも、〈詩〉の中心に宿る聖なるものを捨てるということは、自らの存在を否認することに等しかった」(P261)と著者は評する。

「未来へと流れる夢の
おぼろげな こんじきの頌(ほめ)うたが
立ち上がる人の心と眼なざしとを
星のかたちの花々の 梢に結び
そして その梢から 鳥は飛び立つ。

その鳥のさへづる歌は 傷ついた思ひに充ちて
しかしまた ありとある思ひを超えて
新しい未来へ賭けるいのちの歌。
たたかひと悩みとを 限りなく生む宇宙の中で
つかのまの 身と心とを
やはらぎの 炎の色で染める歌。」
(片山著『紫水晶』の序詩から・P235~236)

懐かしい師への感謝を込めて綴られた一冊。