戦争の狂気をまぬがれた青春の詩篇
~~~~~~~~~~
一日の生活(いのち)を
まこと生くる者の上に
光あれ
(「発掘の生」P39)
~~~~~~~~~~

『詩集 生命の歌』は、フランス文学者でロマン・ロラン研究所(京都市左京区)を設立したことでも知られる宮本正清の詩集である。1949年(昭和24年)刊。序文は著者と親交のあった片山敏彦で、「君は現実の中で、つねに真情をもって試練に耐え、他人と自分との心を共により善い未来へ運び入れようとする人である」(P2)「君の詩心は、まことに生きる努力の道筋に、美の花々を発見させる」(P3)と評している。
本書はおそらく著者の処女詩集で、1922~28年ころまでの作品を収めている。宮本は1898年の生まれだから、20代の作品集ということになる。「ロマン・ロランの生命の息吹きに励まされつつ、ラビンドラナート・タゴールの東方的な叡智に照らされていた」(P1)という宮本青年は、ユニテ(単一性・調和的統一)の予感を綴っている。
「肯定もなく否定もなく
誇りもなく恥もなく
ただ自らに充ち湛える刹那の私
優越もなく劣敗もない
もはや私には風もなく波もなく
ただ存在の光にまかされた
嬰児の微笑にもにたかがやきが
内ともなく外ともなくたゆたっている」
(「凪」P109)
「光りもなく、色もなく、
音もなく、姿なく
それはただ
一つの『すべて』」
(「ひとつ」P167)

著者自筆の献辞が入っている
ロマン・ロランの作品を翻訳していたせいだろうか、宮本は1945年6月、何の理由も告げられず特高に逮捕され、激しい拷問を受けた。約2カ月後の敗戦翌日に釈放されたが、子どもの成長を記した日記や書きためていた詩作品は押収・焼却された。本書に収められているのは、その狂気の嵐をまぬがれた一握りの作品である。子どもたちと友人たちに捧げられた各詩篇には、青春の思い出と自身を取り巻く世界への畏敬が表れているように思う。
「見よ、ただ微笑みて流るる光を、
きけ、安んじて渡る空の風を、
思え、黙々と種をおろす素朴なる手を、
信ぜよ、かよわき母の胸にまどろむ嬰児の夢のやすさを
底知れぬ悲しみの闇をいだく大地の胸の上に
もろあしをふまへて祈るものの心を!」
(「歌え 杜の小鳥」P131~132)
~~~~~~~~~~
一日の生活(いのち)を
まこと生くる者の上に
光あれ
(「発掘の生」P39)
~~~~~~~~~~

『詩集 生命の歌』は、フランス文学者でロマン・ロラン研究所(京都市左京区)を設立したことでも知られる宮本正清の詩集である。1949年(昭和24年)刊。序文は著者と親交のあった片山敏彦で、「君は現実の中で、つねに真情をもって試練に耐え、他人と自分との心を共により善い未来へ運び入れようとする人である」(P2)「君の詩心は、まことに生きる努力の道筋に、美の花々を発見させる」(P3)と評している。
本書はおそらく著者の処女詩集で、1922~28年ころまでの作品を収めている。宮本は1898年の生まれだから、20代の作品集ということになる。「ロマン・ロランの生命の息吹きに励まされつつ、ラビンドラナート・タゴールの東方的な叡智に照らされていた」(P1)という宮本青年は、ユニテ(単一性・調和的統一)の予感を綴っている。
「肯定もなく否定もなく
誇りもなく恥もなく
ただ自らに充ち湛える刹那の私
優越もなく劣敗もない
もはや私には風もなく波もなく
ただ存在の光にまかされた
嬰児の微笑にもにたかがやきが
内ともなく外ともなくたゆたっている」
(「凪」P109)
「光りもなく、色もなく、
音もなく、姿なく
それはただ
一つの『すべて』」
(「ひとつ」P167)

著者自筆の献辞が入っている
ロマン・ロランの作品を翻訳していたせいだろうか、宮本は1945年6月、何の理由も告げられず特高に逮捕され、激しい拷問を受けた。約2カ月後の敗戦翌日に釈放されたが、子どもの成長を記した日記や書きためていた詩作品は押収・焼却された。本書に収められているのは、その狂気の嵐をまぬがれた一握りの作品である。子どもたちと友人たちに捧げられた各詩篇には、青春の思い出と自身を取り巻く世界への畏敬が表れているように思う。
「見よ、ただ微笑みて流るる光を、
きけ、安んじて渡る空の風を、
思え、黙々と種をおろす素朴なる手を、
信ぜよ、かよわき母の胸にまどろむ嬰児の夢のやすさを
底知れぬ悲しみの闇をいだく大地の胸の上に
もろあしをふまへて祈るものの心を!」
(「歌え 杜の小鳥」P131~132)
コメント