魂の螺旋階段を上る
~~~~~~~~~~
私は信じる、人間の一致を。
私は信じる、「人々」に価する友愛の
諧和的なよみがえりを。
また信じる、試練を通じての
喜びのちからを。
また私は信じる――涙にあらわれた
芸術の神性を。
創造の仕事の必然の中にめざめる
自由を。
(「私は信じる」・P268)
~~~~~~~~~~

『片山敏彦著作集【9】自分に言う言葉』は、ドイツ・フランス文学者で詩人の片山敏彦が書き残した日記風のノートや未発表の原稿を整理編集したものである。1972年刊。
全体は時系列で構成されている。第1部「青年時代 ―1918~1928年―」は、著者20~30代の時期。正しさや偉大さを求め、憧れと迷いに揺れる言葉が並ぶ。
「愛して、戦って、できるだけ深く生きよう。
この世は何か深い悲壮な美に充ちた深淵のようだ」(P36)
「不幸を幸に変える為に少しでも働きたい」(P42)
「自分の唯一の『自分のもの』はただ自分の魂のみである。魂の成長のみ自分の成長である」(P51)
「『人間の偉大に対する信仰そのものがわれらの存在の理由である』とルネ・アルコスが言っている。まず真に人間の偉大を求めよ。偉大への意志を持て(中略)弱小なるもののあまりに多い時代に、偉大を、聖なる偉大を信じることは未来に対する義務でさえある」(P65)
第2部「ヨーロッパにて ―1929~1931年―」は、ロマン・ロランなどと対面した欧州旅行の記録である。人生の体験を重ねる中で生を見つめる著者の視力は磨かれ、その深淵を凝視する。
「僕は一生ノーブルなものの為に生きたい」(P106)
「生は悲劇だ。魂は戦場である」(P144)
「生きることは、虚無の中から在を救うことである。在の核心は不滅性である(中略)思想、行為、信仰は在を目ざしている」(P155)
「心に湧き立つ憧憬は
魂の奥なる傷みから来る。
祈ることを知らぬ心臓に迫る
このもの優しい呵責の力」
(「朝」から・P182)
「徹底する事のみが人に永い生命を与える。不滅の動力はただ『我』の中だけにある。妥協は人を殺す」(P183)
第3部「戦争前後 ―1931~1946年―」は、第2次世界大戦・太平洋戦争の時期にあたる。社会の動きに対峙しながら、世界観・宗教観・芸術観・人生観が確立してくる。妻を病気で亡くす。
「詩を書くことの重要さをもっと信じよう。
今のような時代に詩を書いて何になると思う事は詩への裏切りである。
生命が生きることを望むかぎり、詩の重要性はなくなりはしない」(P198)
「一つの事がはっきりして来る。
それは綜一に於いて永遠者が実現するという事である。綜一者の実現は時空を自己のうちに吸収する」(P208)
「たとえ、時代の風潮の故に、食う道を塞がれ、飢えにゆだねられ、不幸に迫られても尚且つ存在の根元に、運命の顔を静かに視る事をやめない者こそ生の名に価する」(P221)
「死を通じて生の大いなる空に昇る道を思う」(P223)
「自分の運命と一致するところにだけ真の喜びが湧く。その喜びは死をも否定する(肯定する)喜びである」(P228)
「ほんとうの教養は必ず一つの良心または正義感を生むものである」(P239)
「自分は自分を失うことによって始めて自分である、という此の矛盾が生の肯定の一根拠である」(P247)
「ものを書く動機を徹底的に純化し、たとえ生活できない危険を感じてもそれを実行すること。師としてロラン、ヘッセ、ニーチェ、マラルメ」(P251)
「使命と、最も真実な悩みの自覚とは常に結合している。故に、使命と悩みの意義とを裏切らないこと」(P251)

片山敏彦自筆原稿「ロマン・ロランをどう読むか」冒頭のみ(筆者所有)
第4部「再び荻窪にて ―1948~1961年―」は終戦後、疎開先から東京・荻窪の自宅に戻った著者の晩年の記録である。戦いを超えた成熟の歳月。再婚した妻を再び病気で亡くす。
「日々あらたまる輝きの中に
毎朝己れの言葉を作る
夕べ静かに書を繙き
古今の聖賢と魂を交す
四季の推移に頭髪の霜は重なり
世の激流は虚無の風声を高めるが
時に心友の訪ね来たる在って
相互の眼ざしの裡に灯を点ずる
俄かに世界の一如は成りがたいが
既に今日の夢にユニテの薫香がある」
(「銘」・P282)
「心の中に生きている
一つの聖なる火を
けっして消さずに保つなら――
よろこびをも悩みをも
その火の生きる糧として
よろこびをも悩みをも
それらに映る聖なる火の
その反映ゆえに愛することを
けっしてやめずに生きるなら――
運命は 心の敵ではない」
(「反映」・P288)
「永遠を信じるものにとって遅すぎるということはない。
すべては永遠の中でつぐのわれる」(P311)
克明な内面の記録から、片山が魂の螺旋階段を時につまずき、迷いながらも、一歩ずつ上っていった真摯な生き様が垣間見えるように思う。片山の知遇を得て文筆生活に入った作家の青木やよひは、本書巻末の「解説」で「一人一人の読者が、この本のすべての頁、すべての行間から、この稀有な存在の≪魂の音楽≫を、より深くより多く聞きとられることを願っている」(P325)と記しているが、まったく同感である。
「語る者は、然し己れの時代のために語るのではない」(片山が書き写したリルケの言葉・P241)
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私は信じる、人間の一致を。
私は信じる、「人々」に価する友愛の
諧和的なよみがえりを。
また信じる、試練を通じての
喜びのちからを。
また私は信じる――涙にあらわれた
芸術の神性を。
創造の仕事の必然の中にめざめる
自由を。
(「私は信じる」・P268)
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『片山敏彦著作集【9】自分に言う言葉』は、ドイツ・フランス文学者で詩人の片山敏彦が書き残した日記風のノートや未発表の原稿を整理編集したものである。1972年刊。
全体は時系列で構成されている。第1部「青年時代 ―1918~1928年―」は、著者20~30代の時期。正しさや偉大さを求め、憧れと迷いに揺れる言葉が並ぶ。
「愛して、戦って、できるだけ深く生きよう。
この世は何か深い悲壮な美に充ちた深淵のようだ」(P36)
「不幸を幸に変える為に少しでも働きたい」(P42)
「自分の唯一の『自分のもの』はただ自分の魂のみである。魂の成長のみ自分の成長である」(P51)
「『人間の偉大に対する信仰そのものがわれらの存在の理由である』とルネ・アルコスが言っている。まず真に人間の偉大を求めよ。偉大への意志を持て(中略)弱小なるもののあまりに多い時代に、偉大を、聖なる偉大を信じることは未来に対する義務でさえある」(P65)
第2部「ヨーロッパにて ―1929~1931年―」は、ロマン・ロランなどと対面した欧州旅行の記録である。人生の体験を重ねる中で生を見つめる著者の視力は磨かれ、その深淵を凝視する。
「僕は一生ノーブルなものの為に生きたい」(P106)
「生は悲劇だ。魂は戦場である」(P144)
「生きることは、虚無の中から在を救うことである。在の核心は不滅性である(中略)思想、行為、信仰は在を目ざしている」(P155)
「心に湧き立つ憧憬は
魂の奥なる傷みから来る。
祈ることを知らぬ心臓に迫る
このもの優しい呵責の力」
(「朝」から・P182)
「徹底する事のみが人に永い生命を与える。不滅の動力はただ『我』の中だけにある。妥協は人を殺す」(P183)
第3部「戦争前後 ―1931~1946年―」は、第2次世界大戦・太平洋戦争の時期にあたる。社会の動きに対峙しながら、世界観・宗教観・芸術観・人生観が確立してくる。妻を病気で亡くす。
「詩を書くことの重要さをもっと信じよう。
今のような時代に詩を書いて何になると思う事は詩への裏切りである。
生命が生きることを望むかぎり、詩の重要性はなくなりはしない」(P198)
「一つの事がはっきりして来る。
それは綜一に於いて永遠者が実現するという事である。綜一者の実現は時空を自己のうちに吸収する」(P208)
「たとえ、時代の風潮の故に、食う道を塞がれ、飢えにゆだねられ、不幸に迫られても尚且つ存在の根元に、運命の顔を静かに視る事をやめない者こそ生の名に価する」(P221)
「死を通じて生の大いなる空に昇る道を思う」(P223)
「自分の運命と一致するところにだけ真の喜びが湧く。その喜びは死をも否定する(肯定する)喜びである」(P228)
「ほんとうの教養は必ず一つの良心または正義感を生むものである」(P239)
「自分は自分を失うことによって始めて自分である、という此の矛盾が生の肯定の一根拠である」(P247)
「ものを書く動機を徹底的に純化し、たとえ生活できない危険を感じてもそれを実行すること。師としてロラン、ヘッセ、ニーチェ、マラルメ」(P251)
「使命と、最も真実な悩みの自覚とは常に結合している。故に、使命と悩みの意義とを裏切らないこと」(P251)

片山敏彦自筆原稿「ロマン・ロランをどう読むか」冒頭のみ(筆者所有)
第4部「再び荻窪にて ―1948~1961年―」は終戦後、疎開先から東京・荻窪の自宅に戻った著者の晩年の記録である。戦いを超えた成熟の歳月。再婚した妻を再び病気で亡くす。
「日々あらたまる輝きの中に
毎朝己れの言葉を作る
夕べ静かに書を繙き
古今の聖賢と魂を交す
四季の推移に頭髪の霜は重なり
世の激流は虚無の風声を高めるが
時に心友の訪ね来たる在って
相互の眼ざしの裡に灯を点ずる
俄かに世界の一如は成りがたいが
既に今日の夢にユニテの薫香がある」
(「銘」・P282)
「心の中に生きている
一つの聖なる火を
けっして消さずに保つなら――
よろこびをも悩みをも
その火の生きる糧として
よろこびをも悩みをも
それらに映る聖なる火の
その反映ゆえに愛することを
けっしてやめずに生きるなら――
運命は 心の敵ではない」
(「反映」・P288)
「永遠を信じるものにとって遅すぎるということはない。
すべては永遠の中でつぐのわれる」(P311)
克明な内面の記録から、片山が魂の螺旋階段を時につまずき、迷いながらも、一歩ずつ上っていった真摯な生き様が垣間見えるように思う。片山の知遇を得て文筆生活に入った作家の青木やよひは、本書巻末の「解説」で「一人一人の読者が、この本のすべての頁、すべての行間から、この稀有な存在の≪魂の音楽≫を、より深くより多く聞きとられることを願っている」(P325)と記しているが、まったく同感である。
「語る者は、然し己れの時代のために語るのではない」(片山が書き写したリルケの言葉・P241)
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