詩は歓喜の実存を証明する
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詩は
ひとりびとりの人に在る
「星の体」の
証しである
(「詩」・P5)
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『片山敏彦文庫だより』は、「片山敏彦文庫の会」が年に1回発行していた会報誌である。同会はドイツ・フランス文学者で詩人の片山敏彦が没して30年になるのを機に結成された。片山の長女・朝長梨枝子氏が管理していた「片山敏彦文庫」を基礎に、会報誌には未発表の詩や未完の随筆などを掲載。生前の片山を知る人々の追憶や評論なども収めた。本書はその創刊号で、1993年10月に発行された。
本書は戦時中に書かれた評論「詩を思う」を収録している。片山は小林一茶の句「うつくしや 障子の穴の 天の川」を引き、「この詩的表現がわれわれの心に与える感銘の余韻のふるえは無限である。最も外なるものが最も内なるものと触れ合う。最も超人格的なものが人格の根底に映り、最も内なるものが最も遥かなものと呼応している」(P18)と評している。
日常の有限性から遥かな無限性へと広がっていく一茶の句はいかにも美しく、ドラマチックだ。このビジョンに出合えたことを何ものかに感謝したくなる。片山が言うように「詩は、人間の世界に、決して朽ちない歓喜の実存することを証明する。そういう歓喜は無限者の円屋根に反響しつづける有限な人間の『声』である」(P18)と思う。
片山にとって、詩は宗教的な色彩を帯びている。「詩人は超越的自我の探求者である。この点に於いて確かに詩人の道は真の神秘家のそれに近い」(P25)とは、片山自身のことでもあるだろう。
「微小な中心を 君の内部に見つけたまへ
神の火花の小さな一点
どんな因習にも 知識にも
権力にも そして運命にも
触れられずに 光をみづからともす
その小さな一点を」
(「微小な中心」扉)
「空間のなかに 時間の中に
無数の葉が
生れ 育ち ふるえ きらめき
やがて枯れて地に還る
私は無数の葉の一つである
ただひととき空の青さを呼吸して
やがて舞い落ちる一枚である。
一枚の葉の私の中に
すべてのものの反映があり
それらの反映は
暗い深い中心の泉に集まる
私は小さな宇宙であり
時と空間とが
私のうちに星座を踊り
夢の星雲を
永遠の母の
微笑がつつむ。」
(「無数と永遠」・P3~4)
作家の青木やよひは、本書収録の対談で「片山敏彦の人と作品って、いまだからこそ若い人に知ってほしい」と述べている。なぜか。「いま、若者たちのあいだでオカルトっぽいものがはやっているし、新興宗教の花ざかりですよね。ファシズムに通じる危険な面がたしかにあります。しかし、私にはこれは、戦後の教育が科学的合理主義のみを唯一の価値基準にして、それから洩れるものを軽蔑し暗闇に閉じこめてきた反動ではないかと思えるんです。おまけに日本特有の画一主義ですよね。すべて数値に換算できるものしか評価されないなんて、人間の感性にとってはたまらないことですね。だから若者は、なにか目に見えないものの価値に飢えているんじゃないか。片山先生の世界には、そういうものがきっとみつかると思うの」(P42)
青木女史の発言から約20年が経過したが、時代遅れの意見と片付けることができるだろうか。片山の世界は「光の種を/培ふ/夢の大地」(裏表紙)として、すべての人々に世界の豊かさを啓示し、生きる意味を教える。
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詩は
ひとりびとりの人に在る
「星の体」の
証しである
(「詩」・P5)
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『片山敏彦文庫だより』は、「片山敏彦文庫の会」が年に1回発行していた会報誌である。同会はドイツ・フランス文学者で詩人の片山敏彦が没して30年になるのを機に結成された。片山の長女・朝長梨枝子氏が管理していた「片山敏彦文庫」を基礎に、会報誌には未発表の詩や未完の随筆などを掲載。生前の片山を知る人々の追憶や評論なども収めた。本書はその創刊号で、1993年10月に発行された。
本書は戦時中に書かれた評論「詩を思う」を収録している。片山は小林一茶の句「うつくしや 障子の穴の 天の川」を引き、「この詩的表現がわれわれの心に与える感銘の余韻のふるえは無限である。最も外なるものが最も内なるものと触れ合う。最も超人格的なものが人格の根底に映り、最も内なるものが最も遥かなものと呼応している」(P18)と評している。
日常の有限性から遥かな無限性へと広がっていく一茶の句はいかにも美しく、ドラマチックだ。このビジョンに出合えたことを何ものかに感謝したくなる。片山が言うように「詩は、人間の世界に、決して朽ちない歓喜の実存することを証明する。そういう歓喜は無限者の円屋根に反響しつづける有限な人間の『声』である」(P18)と思う。
片山にとって、詩は宗教的な色彩を帯びている。「詩人は超越的自我の探求者である。この点に於いて確かに詩人の道は真の神秘家のそれに近い」(P25)とは、片山自身のことでもあるだろう。
「微小な中心を 君の内部に見つけたまへ
神の火花の小さな一点
どんな因習にも 知識にも
権力にも そして運命にも
触れられずに 光をみづからともす
その小さな一点を」
(「微小な中心」扉)
「空間のなかに 時間の中に
無数の葉が
生れ 育ち ふるえ きらめき
やがて枯れて地に還る
私は無数の葉の一つである
ただひととき空の青さを呼吸して
やがて舞い落ちる一枚である。
一枚の葉の私の中に
すべてのものの反映があり
それらの反映は
暗い深い中心の泉に集まる
私は小さな宇宙であり
時と空間とが
私のうちに星座を踊り
夢の星雲を
永遠の母の
微笑がつつむ。」
(「無数と永遠」・P3~4)
作家の青木やよひは、本書収録の対談で「片山敏彦の人と作品って、いまだからこそ若い人に知ってほしい」と述べている。なぜか。「いま、若者たちのあいだでオカルトっぽいものがはやっているし、新興宗教の花ざかりですよね。ファシズムに通じる危険な面がたしかにあります。しかし、私にはこれは、戦後の教育が科学的合理主義のみを唯一の価値基準にして、それから洩れるものを軽蔑し暗闇に閉じこめてきた反動ではないかと思えるんです。おまけに日本特有の画一主義ですよね。すべて数値に換算できるものしか評価されないなんて、人間の感性にとってはたまらないことですね。だから若者は、なにか目に見えないものの価値に飢えているんじゃないか。片山先生の世界には、そういうものがきっとみつかると思うの」(P42)
青木女史の発言から約20年が経過したが、時代遅れの意見と片付けることができるだろうか。片山の世界は「光の種を/培ふ/夢の大地」(裏表紙)として、すべての人々に世界の豊かさを啓示し、生きる意味を教える。
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