人間性回復のために

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真実、真実、それが我々の武器だ
(佐々木孝丸訳『夜』平凡社 P91)
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フランスの詩人マルセル・マルチネの戯曲「夜」、1922年に出た第2版である。初版は前年の1921年に出版された。

本作は第1次大戦末期、ドイツ軍の一部水兵が反乱を起こし、大衆蜂起、ドイツ帝政の崩壊とヴァイマル共和政の誕生、大戦終結へとつながったドイツ革命に暗示を受けて書かれたといわれる。「労働と、苦痛と、そしてほんのけし粒程の希望とで生きて来た」(同P70)多くの庶民は、「奴隷的境涯のなまぬるい泥の中に寝て」(同P112)いる。彼らは政治的無関心のゆえに政治に振り回され、権力と暴力が彼らの暮らしを、人生を破壊していく。長く、冷たく、深い夜。そして本当に大切なものを失ったとき、はじめて目覚めが訪れるという悲劇――。

「人間を人間に投げつける化物(ばけもの)はもうたくさんだ!」(同P27)

「彼らを正気へ返えらせるんだ。
けだものを圧服するんだ。人間に復(かえ)らせるんだ。
彼らは人間だ。
我々の友だ。我々自身だ」(同P138)

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マルチネの自筆で献辞が入っている
(画家の Paul Emile Leconte 宛か?)


革命家トロツキーは、本作を「人生のもっとも高次の真理、歴史の真実、芸術の真理のすべてを一つに統合している。雄々しい言語表現の作品」(片山敏彦文庫の会編『片山敏彦の世界』みすず書房 P47)と讃えたという。マルチネが畏友ロマン・ロランの劇作品を評した次の言葉は、本作の評言としても適切だろう。

「劇を観終ったとき、人は説得されもせず、心が満ち足りても居ないが、劇そのものである思想は、これを観たのち家に帰って自分独りになる人間の心に伴って来、その人間の本心と歩みとを秘(ひそ)かに照らす」(片山敏彦訳『ロマン・ロラン作品集【8】』みすず書房所収「ロマン・ロランの戯曲」P258~259)

「劇の魂はなるほどアクションではある。しかしそのアクションの真の意味は一つの持続的な格闘にあり、この格闘は、その劇と共に初めて始まるという性質のものではない。それは舞台の開幕以前にすでに始まっているのであり、幕が下りても終らない。幕が下りてから後も、観者の心の中にこの格闘が持続するのでなければ、その格闘は、舞台装置の中に描き出される雲の戯れにすぎない。たぶんそのゆえにこそ、戯曲は、あらゆる芸術形式のうちで最も魔力のある、最も密度の大きい、また最も感銘が後までつづく人間的な詩なのであるが、しかしそのためには、この絶えまない劇的格闘を本来その心の中で生きているような作者の作であることが必要なのである」(同P255)

本作は1926年に築地小劇場で上演され、宮沢賢治なども観劇したという。もっとも上演のための改変と検閲により原作の意図は歪められていたそうだが。