人間を信じて現実と向き合う

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人間的な優しさを私は何も見棄てはしない
(「出発」P137)
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フランスの詩人マルセル・マルチネの選詩集である。高知県出身の詩人でマルチネの友人だった上田秋夫による翻訳で1931年に出たもの。本書は続編であり、前年に『マルセル・マルチネ詩選』が出ている。

本書には社会の動きに強い関心を持ち、積極的に関わろうとしたマルチネらしい詩編が並ぶ。例えば「今夜…」は、第1次大戦の戦場へ赴く友人ピエール・モナットに捧げられたものである。モナットは大戦時、反戦の立場を明確にしていたという。

「この国で、錯乱した或は臆病なすべてのものが
黙っている時に、わが友よ、君だけが話したのを私は知っている。
そして君の忠実な心と君の明敏な精神で
君が起ち上ったことを、そして人が欺いた民衆の
名誉である君、すべてのものの一人者である君を私は誇らしく思ふ」
(「今夜…」P34)

「火宅の世界だ。世界のすべてが私達に反していたのだ、
権力、それは制限なしにすべての人間に重荷になった、
虚偽、それはすべての人間の心の中に忍び込んだ、
或る者等の愚鈍、他の者達の卑怯、
そしてこの誤った使徒等のすべての佯(いつわ)りのなかで
三十年の努力が風に運び去られたのだ」
(「今夜…」P36)

「盲目にされた人達が嬉々として過ぎてゆく
恥辱と苦痛との深淵よ、
私はそれを見た、それがあそこにあったのを私達は叫んだ、
そして最後の時に、世界的狂乱の時に、
憎しみと恐怖との眼をもって
その恐ろしい現実のなかで
常に私達が見るのは、人間の下に既に開かれている深淵であった」
(「今夜…」P38)

「偽ることを職としているから
彼等は現実主義者だと呼ばれている」
(「今夜…」P40)

「怒号することだけしか考へなくて
誰もがそして彼等自身もまた
真実を少しも聞かないのだ」
(「今夜…」P42)

「古い苦悩の奥底から、時は来るだろう。
今日勢を失ったわれわれは、そこで起ち上ろう、
そしてわれわれの無力をもって、
永遠の敗北者達に約束した勝利を奪取しよう」
(「今夜…」P49)

たわいない遊びに夢中で家が燃えていることに気付かない。現代のわれわれも、往々にして「火宅」の住人となる。真実に覆いをかけてしまいこみ、人間性を眠らせてしまう。道徳的・科学的・現実的という名の仮面が配られ、きのうまでの白が黒に、正解が誤りに、正義が悪に変わっていく。渦中にいる人々は、その異常さに気付かないものだ。彼らを目覚めさせる使命を帯びているのが詩人であり、万人に抗して戦う1人である。

「私は君達をこの虚偽から鞭で逐ふのだ、私の最愛の者達よ」
(「ツァラトゥストラの歌」P87)

「聴け、私はやって来るそしてお前にいふ、――お前は偽る。
お前の不幸を偽る。お前自身を偽るのだ」
(「ツァラトゥストラの歌」P94)

「お前の腐る下で
お前は幸福だと彼等はいふ。(そして彼等は利益を得るのだ。)
私は、
お前を温めているこの繃帯、この害虫を
お前から引除ける。(厳しくあれ、わが心!)
彼等はいふ、――それは羨望だ、それは憎しみだ、
苦痛もまた彼等の為めなのだ。
私は自分の指をお前達の創(きず)に置く
そして私はそれを一つ一つ呼ぶ
そしてお前が目覚めることを
そしてお前が苦しみ、お前が呼ぶのを私は望む」
(「ツァラトゥストラの歌」P94~95)

詩人は本当にやさしい。人間への信頼を決して失わない。どんな迫害を受けても、無視されることがあっても、人間を憎んだり、あきらめたりしない。彼らが自分自身であることを痛いほど知っているから。

「私は人間らしい優しさを少しも拒みはしなかった
そして暗い目なざしや或は朗らかな顔の下で
癒やせない悲しみやうちもだした迫害が
血にまみれ身をふるはすのを私は感じた。

私は人間らしい苦しみを少しも拒みはしなかった
しかし何よりもすぐれた沈黙を知りながら
私は敗れた人達を護った、そして彼等の歎きと悩みは
私の心のそばで静かに揺り眠らされた」(「出発」P112)

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訳者自筆の献辞が入っている

マルチネはホイットマンの『草の葉』を愛読していたという。本書には収録されていないが、宇宙的で人間的な詩篇に、その影響がうかがえるだろうか。

「生きていた人々を私は思う、
生れてくるだろう人々を私は思う、
そして無数の他の命の中に
同じ一つの明るさを私は認めながら
この夕べ私は信じる、
たぶんこれ以上大きな真理は存在しないのだと」
(みすず書房『片山敏彦著作集【4】』所収
「マルセル・マルチネ論、詩〈室内〉」P203~204)

「つい先刻も私が敲(たた)いた扉は
決して誰にとっても開かないだろう、そんな扉だ。
しかし、矛盾するかずかずの真理からなる大きな明るさよ、廻(まわ)れ。
不動のけしきの中に一つの別のけしきを呼びさませ。
人々の使う言語にはたがいに矛盾するものが多い。
しかし、それらの矛盾はじつはただ人々の言語と
人々の考えの弱さとの中だけにしかない。
人々の考えはもつれを作り出し、途切れ、切れた糸筋を再びつなぐが
さまざまの照応(コレスポンダンス)の金いろの糸に
しなやかに忠実に従(つ)いて行こうとはしない。
神秘な太陽よ、けしきに新しい照明をそそげ。
矛盾するかずかずの真理から成る大きな明るさよ」
(同〈一致の歌〉P215)

「君たちが英雄たちを探したいなら探したまえ。
世に抵抗し自己に抵抗してたたかうことをしないそんな英雄たちの
勝利とはどんな勝利か私に言ってみてくれたまえ。
君たちが彼らの勝利、彼らのヒロイズムと呼ぶものがどんなものでできているかを言ってみたまえ。
私は一人の人間であることだけを望んだ。それはたいしたことなのだ」
(同P217)

「私の存在の理由、私になくてはならぬもの、そして私の幸福とは
世界の一つの魂が創造されて、その魂が救われることなのだ。
世界の一つの魂が創造されて救われるだろうということが
私には、なくてはならぬ、そして自明の信念となり
私の明白な確信となっている……」(同P219)

マルチネは1944年2月、57歳で亡くなった。シュテファン・ツヴァイクは、「マルチネはつねに復興と新しい建設と世界再建との革命家だったが、独断的信条にとらわれるところがまったくなかった。……彼はつねに自由であった。つねに自由でありそして孤独であった」(同P200)と評したという。