自らの真実をうたう

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もし私のうたになにかの力があるならば、
私は深淵の底に無事に降りてゆくこともできよう
(モンテヴェルディ≪オルフェオ≫ P0 題詩)
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「エウリディケ」は、フランス文学者で詩人の清水茂氏が発行した個人詩誌である。1978年12月に第1号を出し、1980年6月の第4号をもって終刊となった。創刊の理由を清水氏は「現代日本の詩壇の趨勢にかかわりなく、自分の真実をうたいたい。うたによって、できることならば、愛するすべてを時間の流れから救いとれればと希う」と、本誌後記に記している。

創刊号である本誌には、上田秋夫の詩「聖域」と、清水氏の詩「時間の主題による音楽的試み」が収められている。

【「聖域」から】

「この空の
気高さは
どこまで
つづくのか
あらゆるものを
やさしく
つつみながら
一度きりの
現実を
示して

過ぎてゆく
ものの速さが
なにひとつ
残さないとしても
あたらしく
生まれ出る
よろこびが
すべてを
満たしている」(P4~5)

「あたらしい
夜明けがここにある
永劫につながっている
ときがいま在る
もうなんの
わびしいこともない
まことの
充実が
こんなに目立たない」(P21)


【「時間の主題による音楽的試み」から】

「私が知っているのはこの明るい諦めの門の
閂の開いたところからむこうだ。
それはあの世ではなくて、
人びとのいるこの世界であり、
誰もが知っているこの世界を
むこうからこちらに見ているのであり、
だから私は失ってはいないのだ」(P40)

「この限りあるものたち、
世界のどこからでもあからさまに見据えられているために
もう おののきをおぼえることすらない
石の冷たさを
私は死と呼ぶことはできない。
なぜなら そこにはなお変化があり
ここには 変化がないからだ。
そして 変化とはいつでも一つの約束であり、
一つの方向であり、
私がいつか夢に経験したあの飛翔の数かずと
ほとんど同質のものなのだ」(P53)

「回想が希望に近いのは
そのどちらもがこの季節の花ではないからだ。
この季節には咲かない花だからだ。
そして 人びとは重さに耐えながら
久しい時間の停止のなかで
一歩を歩もうとする、
わずかに一歩を。
その一歩がありさえすれば すべては変わることもあるのに、
いま分かることは、すべてこれを拒む。

なんというたくさんの拒否の身振り!

だが 共苦の涙がなにかを告げている。
暗い谷あいにあってまだ見えないものが
どこかでかすかに流れたような気がした。
そうだ、
この時間の拷苦(せめ)のなかにあって
われらがなおどこへも踏み出さないのは
確実な一歩を踏み出すためなのだ。
この一歩は誰から来るのか?
あのイマージュ、あの約束のイマージュ!

苦しむことが愛なのだと分ったときに
なにかが動きはじめる。
時計の音が秒を刻む。
呪縛をとり除く力が
呪縛されていることから来るのは
いかにも奇妙なことだ。
すべてが身動きできずにいるとき
そのことへの共苦が石を動かす」(P54~56)

「なにもかも、
そうだ、なにもかも
ここには集まっているとおまえが言うのだから
私は そうだ と言うだけだ。
私の娘よ、
ここに消えずにあるものは
いつだって消えずにあるのだ」(P68)


ある現実は一度きりかもしれないが、生と死、在と不在、むこうとこちらは表裏であり、不二であるという感覚。そして、硬化した生は愛により変化できる。