ロマン・ロランの永遠の一瞬
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内面の道を行くしかない。
この道を行くことと生きることを一致させるほかない。
自己の内部にもぐり入って、
その無限のひろがりを自覚の中にきずくこと――
これが自分の仕事である。生死を超える道は、
自分にとって、ただこの方向にだけある
(「七月十四日に」P13)
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『片山敏彦文庫だより』について
第2号となる本誌は、ロマン・ロラン没後50周年にちなんで発行された。片山敏彦の「ロマン・ロランとヘルマン・ヘッセ」「ロマン・ロラン六回忌に」「ロマン・ロランはどうしてアジアの思想に近づいたか?」「永遠の女性像」などを収録。本年5月に亡くなったフランス文学者・村上光彦氏による「片山敏彦とロマン・ロラン」も収めている。
ロランの幼いころの体験は印象的だ。
「五歳の彼は
母と三歳の妹マドレーヌとともに
一八七一年の夏をアルカションの海水浴場で過ごしていた。
或る日海岸で
ロマンが他の男の子らにいじめられて泣きべそをかいたとき、
それを見ていた三歳の妹は
兄の髪の毛を静かに撫でて『かわいそうに』とつぶやいた。
兄はなぜか解らず感動して、泣きやめて妹を見つめた。
眼に映ったのは妹の『やさしいメランコリックな顔だった。』
ただそれだけだった。
その夜その妹がホテルの一室で
ディフテリアらしい病気のために死んで行った。
その後ロランはほとんど毎晩、眠りにつく前、
あの妹に語りかける習慣をもつようになった。
ロランは書いている――
『私はあの妹からの啓示を認めている。
あの妹は私にその啓示を脆い使者として伝えた。
それは人間らしい憐れみの心(コンパッション)という啓示であった。』」(P22)
永遠の一瞬。ロラン自身の筆による回想は、みすず書房『ロマン・ロラン全集【17】』所収「内面の旅路」のP294~296にある。そのほか片山の清澄な視力を感じられる詩篇と随筆から。
「地に敷ける光の落葉
人踏みてくだけ散りつつ
声立てず 光の落葉
夕闇のやがて降り来て
行く人の無き路の辺に
吹き起こるかそけき風に
踊りつつみそらの星へ
いらえするごとくに舞ひて
地に還る光の落葉」
(「光の落葉」P3)
「われらの心に 今もまだ瀬の音のやうに
聴こえやまないのは
黒い夜の すざましい夢のなごりのひびき。
今朝は太陽と小鳥たちの歌が
人々のために そしてわれらのために 新しい日の
アーチをつくる。
それでわれらの無言の祈りが
手を取り合つて今一度
目には見えないアーチをくぐる」
(「りんだう 終戦の八月」P9)
「人間のうちには
誰にも暗いデモン(魔神)と明るいデモンとが住んでいる。
魔神は暗いにせよ明るいにせよ、力としては価値がある。
だが、暗いデモンの力は破壊と分裂とに傾き、
明るいデモンは創造と、一層高い調和とを作る。
自己教養の課題は、
自己の内面の暗いデモンの価値を否定することなしに
それを明るいデモンに変えることである」(P26~27)
「ほんとうの教養精神は
決して時代おくれのブルジョワ趣味ではない。
こんにちの教養精神にとっては、
悲観主義(ペシミズム)が正しいか
楽観主義(オプティミズム)が正しいかという問題よりも、
絶望に負けず正当な希望を生む方法を、
感情・意志・理性の全部を用いて求めることが直接な問題である」(P27)
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内面の道を行くしかない。
この道を行くことと生きることを一致させるほかない。
自己の内部にもぐり入って、
その無限のひろがりを自覚の中にきずくこと――
これが自分の仕事である。生死を超える道は、
自分にとって、ただこの方向にだけある
(「七月十四日に」P13)
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『片山敏彦文庫だより』について
第2号となる本誌は、ロマン・ロラン没後50周年にちなんで発行された。片山敏彦の「ロマン・ロランとヘルマン・ヘッセ」「ロマン・ロラン六回忌に」「ロマン・ロランはどうしてアジアの思想に近づいたか?」「永遠の女性像」などを収録。本年5月に亡くなったフランス文学者・村上光彦氏による「片山敏彦とロマン・ロラン」も収めている。
ロランの幼いころの体験は印象的だ。
「五歳の彼は
母と三歳の妹マドレーヌとともに
一八七一年の夏をアルカションの海水浴場で過ごしていた。
或る日海岸で
ロマンが他の男の子らにいじめられて泣きべそをかいたとき、
それを見ていた三歳の妹は
兄の髪の毛を静かに撫でて『かわいそうに』とつぶやいた。
兄はなぜか解らず感動して、泣きやめて妹を見つめた。
眼に映ったのは妹の『やさしいメランコリックな顔だった。』
ただそれだけだった。
その夜その妹がホテルの一室で
ディフテリアらしい病気のために死んで行った。
その後ロランはほとんど毎晩、眠りにつく前、
あの妹に語りかける習慣をもつようになった。
ロランは書いている――
『私はあの妹からの啓示を認めている。
あの妹は私にその啓示を脆い使者として伝えた。
それは人間らしい憐れみの心(コンパッション)という啓示であった。』」(P22)
永遠の一瞬。ロラン自身の筆による回想は、みすず書房『ロマン・ロラン全集【17】』所収「内面の旅路」のP294~296にある。そのほか片山の清澄な視力を感じられる詩篇と随筆から。
「地に敷ける光の落葉
人踏みてくだけ散りつつ
声立てず 光の落葉
夕闇のやがて降り来て
行く人の無き路の辺に
吹き起こるかそけき風に
踊りつつみそらの星へ
いらえするごとくに舞ひて
地に還る光の落葉」
(「光の落葉」P3)
「われらの心に 今もまだ瀬の音のやうに
聴こえやまないのは
黒い夜の すざましい夢のなごりのひびき。
今朝は太陽と小鳥たちの歌が
人々のために そしてわれらのために 新しい日の
アーチをつくる。
それでわれらの無言の祈りが
手を取り合つて今一度
目には見えないアーチをくぐる」
(「りんだう 終戦の八月」P9)
「人間のうちには
誰にも暗いデモン(魔神)と明るいデモンとが住んでいる。
魔神は暗いにせよ明るいにせよ、力としては価値がある。
だが、暗いデモンの力は破壊と分裂とに傾き、
明るいデモンは創造と、一層高い調和とを作る。
自己教養の課題は、
自己の内面の暗いデモンの価値を否定することなしに
それを明るいデモンに変えることである」(P26~27)
「ほんとうの教養精神は
決して時代おくれのブルジョワ趣味ではない。
こんにちの教養精神にとっては、
悲観主義(ペシミズム)が正しいか
楽観主義(オプティミズム)が正しいかという問題よりも、
絶望に負けず正当な希望を生む方法を、
感情・意志・理性の全部を用いて求めることが直接な問題である」(P27)
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