老詩人が瞠目する「在ること」の不思議
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きっと ほんとうに書くべきことなど
何もないのだ。在るということの
解きがたい不思議を超えるものは
何もないのだから。(「夕暮れに」P41)
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著者自筆の署名箋が挟み込まれていた
『水底(みなそこ)の寂(しず)かさ』は、フランス文学者で詩人の清水茂氏が、2008年にまとめた詩集である。1932年生まれの老詩人は「在ること」の不思議を謳う。
「何もなくても不思議はなかったのに
私がいなくても、空も大地もなく、
それどころか宇宙のすべてがなくても
すこしも不思議はなかったのに、それなのに
すべてがこのようにして
ここに在り、世界をかたちづくり、
在るものすべてがつぎつぎに
時間の背後に姿を消してゆきながら、しかも
なお 何ひとつ喪われはしないかのように
何かがなお在りつづけていることの奇蹟、」
(「雪の残っている小径」P107~108)
在ることの不思議は、無いことの不思議でもある。多年にわたり思索・研究を重ね、人生の体験を積んできた氏にしてなお、生と死の謎は解きがたいのか。そこはかとない哀愁が漂う。
「在ることと無いこととの
どちらが夢なのかと訝りながら。」(「塔の影」P59)
しかし、生と死がコインの裏表であるとするなら、死は無ではない。それどころか、死という夜は、やがて朝の光とともに存在として目覚める。
「時が来て、世界からほんの一歩外れれば
私はもう何も見なくなり、
何も聞かなくなるだろう。
いつまでのことかは判らないが
それでも 朝の光のなかには
無数の生きものたちの目醒めがあり、
その裏側の夜の空には、星の群が
さまざまな夢の形象を描きながら
回転しつづけるさまを想い描いてみる。
私の知らない世界のいたるところで
私の知らない子ども、私を知らない
子どもが目醒めてはまた眠る。」
(「不在になった私の」P44~45)
生命は、生死不二か――。生と死への畏敬。
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きっと ほんとうに書くべきことなど
何もないのだ。在るということの
解きがたい不思議を超えるものは
何もないのだから。(「夕暮れに」P41)
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著者自筆の署名箋が挟み込まれていた
『水底(みなそこ)の寂(しず)かさ』は、フランス文学者で詩人の清水茂氏が、2008年にまとめた詩集である。1932年生まれの老詩人は「在ること」の不思議を謳う。
「何もなくても不思議はなかったのに
私がいなくても、空も大地もなく、
それどころか宇宙のすべてがなくても
すこしも不思議はなかったのに、それなのに
すべてがこのようにして
ここに在り、世界をかたちづくり、
在るものすべてがつぎつぎに
時間の背後に姿を消してゆきながら、しかも
なお 何ひとつ喪われはしないかのように
何かがなお在りつづけていることの奇蹟、」
(「雪の残っている小径」P107~108)
在ることの不思議は、無いことの不思議でもある。多年にわたり思索・研究を重ね、人生の体験を積んできた氏にしてなお、生と死の謎は解きがたいのか。そこはかとない哀愁が漂う。
「在ることと無いこととの
どちらが夢なのかと訝りながら。」(「塔の影」P59)
しかし、生と死がコインの裏表であるとするなら、死は無ではない。それどころか、死という夜は、やがて朝の光とともに存在として目覚める。
「時が来て、世界からほんの一歩外れれば
私はもう何も見なくなり、
何も聞かなくなるだろう。
いつまでのことかは判らないが
それでも 朝の光のなかには
無数の生きものたちの目醒めがあり、
その裏側の夜の空には、星の群が
さまざまな夢の形象を描きながら
回転しつづけるさまを想い描いてみる。
私の知らない世界のいたるところで
私の知らない子ども、私を知らない
子どもが目醒めてはまた眠る。」
(「不在になった私の」P44~45)
生命は、生死不二か――。生と死への畏敬。
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