真の幸福は魂の成熟に宿る

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瞬時をいつくしんで永遠を信じる(扉)
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『魂のよろこび』は、ドイツ・フランス文学者で詩人の片山敏彦による随筆集である。1955年刊。鮮やかなイメージによる、詩人らしい人生論となっている。

「幸福の本体は、魂のよろこびにある。幸福のかたちは諧和にある」(P118)

魂のよろこびとは何か。それは「個」と、永遠なるものである「全」とのユニテ(単一性・調和的統一)、「あらゆる次元を含む全存在の本質的一致調和」(P163)であると著者は説く。

「魂のよろこび、それは魂の音楽のよろこびであり、人間の存在が、求心的に自己の中心を感じながら、同時に、自分の存在が、或るリアルな『全体』に向ってひらかれ、その『全体』と血が通い合っているところにある」(P118)

こうした感覚を生きている人々にとって、幸不幸が個人的な現象にとどまることはあり得ないだろう。他者の痛みはわが痛みであり、自らの喜びは他者と分かち合うべきものとなる。片山が交流を深めたロマン・ロランやヘルマン・ヘッセは、そのような種族の一人であったと思う。

「地上の歴史をつらぬいて、精神の無形の堂を築く人々が、常に生きている。矛盾と争いとの悲劇の中でその悲劇の意味を、自由と創造と愛とに向け変えて、権力よりも永く生きる精神の堂を、彼らは日々の使命として彼らの内面から築き、瞬時をいつくしんで永遠を信じ、人間の悩みと喜びとの奥に、神の音楽を聴いて、それを星々の音楽になぞらえ、仕事を、この音楽への応答として生きる」(P166)

「幸福の啓示とは、この日々の課題の場で授けられる或る根本的な調和の感じであり、それは外からと内からと同時に来る。たといこの感じが、ほんの瞬時のかすかなものであろうとも、それは永遠なもののまたたきであり、そのきらめきの中に見えてくる段階の道は、無限に先へつづいている。それは魂の成熟の、長い、螺旋状の道である」(P167)

だから片山は、青年にこう語りかける。

「現代の不幸は、内生活の確立を妨げるものが多すぎる点に在る。内生活とは、個人の精神集中とその持続である」(P50)

「問題は君自身の魂の成熟ということである。まことの幸福は、魂の成熟に宿るということは真実ではないか?」(P66)

「君の一日の中の一時間を、君の魂の最も純粋な声のためにささげる習慣をつけたまえ。その習慣のためには、新聞雑誌や宣伝文ではない、古今東西の永遠の書物や、また最良の音楽がたしかに助力を与えてくれる。それらの書物、それらの音楽に、君自身の魂の立場から触れたまえ」(P66)

かりそめの言葉と、つくられた思考に押し流されそうになりながらも、自ら感じ、考え、表現することを持続する大切さをあらためて知った。

「魂の追憶は、永遠なものの追憶であり、過去の大地から永遠の空へ昇った追憶は、希望の雨になって未来の中へ降る」(P116~117)

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著者自筆の献呈署名が入っている