デッサンと色彩の対立

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「画家は絵筆を手にしたときのみ考えるべき」であって、
流派を意識し、気を取られるのは常によくない兆候である。
抽象画であれ具象画であれ、芸術家である君たちよ、好きなように描きたまえ。
ただ手を動かせ。無駄口を叩くな。
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フランスの作家アンドレ・モロワの自筆原稿である。「文学についての語録 デッサンと色彩の対立」と題し、モロワの恩師で哲学者のアランが序文を寄せた画集『アングル』(1949年、エディシオン・デュ・ディマンシュ刊)について書いている。掲載紙の切り抜きが付属していた。アランが執筆した序文の邦訳は、みすず書房『アラン 芸術について』(山崎庸一郎編訳)に収録されている。

【意訳「デッサンと色彩の対立」】
アングルの見事な画集に、
アランは「デッサンと色彩の対立」という副題を付けた。
序文でアランはこう綴る。
「言うまでもなく、アングルはデッサンを愛していた。
言うまでもなく、彼は絵画を愛していた。
そのことが彼に折り合いのつかない二つの神をもたらした」※1

アングルは、この対立を作品によって解決した。
「画家は絵筆を手にしたときのみ考えるべき」であって、
流派を意識し、気を取られるのは常によくない兆候である。
抽象画であれ具象画であれ、芸術家である君たちよ、好きなように描きたまえ。
ただ手を動かせ。無駄口を叩くな。

アングルはデッサンが自分の長所だと知っていた。
展覧会の準備をしていたある日、友人がアングルに
「大きな油彩画の脇に、
よく知られた鉛筆デッサン画を何枚か置いたらどうか」と提案した。
アングルは間髪を入れずに答えた。
「だめだ! それしか見なくなるかもしれないではないか…」

これについて、アングルは間違っていなかった。
アランがその深い分析の過程で示しているように、
アングルの最良の絵画作品には必ず、線が支配する領域
(例えば「博士たちと議論するイエス」のイエスがいる部分)と、
色彩がデッサンに打ち勝った、かなり暗く、濃い色彩の領域がある。
「デッサンは芸術の誠実さ(プロビテ)である」が、
本当の意味で色彩の画家らしい画家は、
タッチを重ね合わせることでデッサンを覆い隠してしまう。
アングルは弟子たちにこう言っていた。
「色彩は輪郭に沿って置かれてはならず、
輪郭のうえに置かれねばならない」※2

アランはこうも付け加える。
色彩がデッサンを破壊しているのは一目瞭然であり、
また、破壊しなければならないのだと。

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博士たちと議論するイエス

デッサンによる肖像画は現実を欠いているが、
それはある性格なり行動なりを規定する。
さらに彩色された肖像画には、モデルの歴史が加わる。
われわれの誰もが、過去のすべてを顔に貼り付けているからだ。
彩色された完璧な肖像画は、重ねてきた人生そのものを再現する。
魂のさまざまな色合いにまで達するような
連続的で矛盾をはらんだタッチの繰り返しが表現するもの、
描かれたモデルの思考と同じように入り乱れた絵の具の厚みが表現するものは、
一つの生全体なのである。

それでもデッサンは救われねばならない。
さもなければ、バルザックの短編『知られざる傑作』に見られるように、
誰も作品を理解できなくなってしまうだろう。
アランはこの短編を何度も引用している。
私も再読したが、実に見事な美学講義だ。

バルザックは何という男だろう!
彼はすべてを言い尽くし、すべてを理解した。
絵画についても専門家であるかのように適切かつ巧みに語った。
それは印象派を先取りするものだ。
『知られざる傑作』に登場する老画家フレンホーファーはこう述べた。

「自然の中に線なるものは存在しない。
デッサンはかたどるものだが、わしは輪郭線をきちんと決めることはしなかった。
輪郭の上にブロンド色や暖色の半濃淡(ドゥミ・タント)を雲のように流して、
輪郭と背景が出合う場所をぴたりと指差せないようにしたのだ。
ひょっとすると、線なんて一本だって引いてはいけないのかもしれない。
宇宙の聖なる画家である太陽は、そんなふうにやりはしないだろうか」

色彩に取り憑かれたフレンホーファーは、
自身の傑作に幾度となく筆を加えることでフォルムのすべてを破壊してしまう。
あまりに色彩画でありすぎる絵画は死んでしまうのだ。
『知られざる傑作』は、このような道徳的教訓でもある。

色彩と線が必要であるように、感情や理念もなければならない。

アランは本書でアングルの肖像を描いているが、
いくつものタッチを重ね、巧みに修正を加えることで、デッサンを救っている。
「あえて言うなら、絵画は作家の文体に大きな影響を与えたのだ。
問題は常に輪郭線を覆い隠すことにあるのだから。
書くことの喜びはそこにあり、絵を描くことの喜びもまたそこにある」

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※1 みすず書房『アラン 芸術について』(山崎庸一郎編訳)P164
※2 同上 P162