偉大な師への讃仰

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私にはアラン以外の師は存在しなかったし、
彼以外の師を持つことはあり得ない。
この時代に彼より偉大な師は存在しない
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フランスの作家アンドレ・モロワが、恩師である哲学者アランの没後10年に合わせて書いた自筆原稿である。モロワが会長を務めていた「アラン友の会」の会報向けに執筆したものか。

【意訳「アラン没後10年に」】
アランが亡くなって10年になるが、アランは死んでいない。
彼は私たちの中で生きている。

私は自分のベッド脇の小卓に
アランの『プロポ(語録)』を1冊置いて毎朝読み返している。
私は彼の思想を今でも味わい続けているが、
それはいまだに最も強く、深く、そして美しいものである。
宗教的な――この言葉をアランは好んだ――といってもいい
こうした読書の後は、道が開かれたと感じ、
その日は以前より少しだけ上手く、
愚劣さや弱さから身を守れたと感じるのである。

私たちの世界から身体は消え失せているのに、
いまだに在り続けているというのは作家の特権だ。
私にはアラン以外の師は存在しなかったし、
彼以外の師を持つことはあり得ない。
この時代に彼より偉大な師は存在しないし、
私の精神の欲求に彼以上に上手く応えてくれる者もいない。
プラトンやデカルトなど過去の哲学の師たちも、
アランを介してこそ、
最も確実に私のもとへやって来るのである。

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左からアランの肖像写真、友の会のチラシ、会報(筆者所有)

10年前に「アラン友の会」を設立したとき、
私たちは共同で師の思想を擁護し、
より多くの人々へその思想を広めることを目的としていた。
彼のため、私たちのため、
そしてすべての人のためにそう望んだのである。
アランの叡智は恩恵をもたらし得ると信じていたし、
今ではこれまで以上にそう信じている。

移ろいやすい流行や、
専門家以外には分からない難解さなどを超えたところに、
永遠に変わることのない確固たる岩場がある。
彼の生徒であり弟子である私たちは、
生涯のあいだずっとそれに支えられてきたので、
ほかの人々にも必要なものであることがよく分かるのだ。
そのため私たちは、記事や著作の出版などを通じて、
この素晴らしい叡智を広めることに最善を尽くしてきたのである。

1961年の現在、
アランは1951年当時より、よく知られるようになった。
私たちの試みが成功したと思うと喜びがあふれる。
世界的な文学全集である
プレイヤード叢書に収められた『プロポ』等のアランの著作は、
他の高名な作品と同様か、それ以上に読まれている。
アランはまったく自然に、そして正当なことに、
古今の巨匠たちのかたわらに座を占めることになったのである。

私たちは引き続きこの使命に身を捧げるつもりだが、
未刊行の作品については多少の困難が伴う。
友の会はこれまで刊行すべき作品の取捨選択に関わってこなかったが、
ほとんどの作品が出版された今、アラン夫人と相談して
アランの遺稿を整理する必要があるだろう。

アランの没後10年は、
彼も望んだであろう喜ばしいことばかりである。
私たちの師の栄光と影響は衰えるどころか、
さらに威光・勢力を増している。彼を師に選び、
敬ってきたことを常々誇りに思ってきた私たちだが、
今以上にそう強く感じたことはない。