詩人の正視眼

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嘲弄が一つの大きな民衆の未来に、
又恐らくは(誰か知ろう)一つの世界の未来に対して向けられる場合、
私はそれを許すことができない(尾崎喜八訳 P12)
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本書はフランスの詩人ジョルジュ・デュアメルの『モスクワの旅』である。1927年にメルキュール・ド・フランスから出た。フランスの作家アンドレ・モロワの旧蔵書で、デュアメル自筆の献辞が書き込まれている。

「アンドレ・モロワに

歴史家であり小説家である君へ
この現代史の一場面を

思い出を込めて

デュアメル
1927年10月」

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デュアメルは1927年3月、モスクワの芸術科学アカデミーの招きを受けて、友人のリュク・デュルタンとロシアへ向かい、約1カ月で帰国した。その見聞をまとめたのが本書である。デュアメルの友人だった詩人の尾崎喜八による邦訳が『モスコウの旅』として龍星閣から出ている。

1905年革命、第1次世界大戦、1917年の2月革命・10月革命、そしてロシア内戦を経て1922年にソビエト連邦が成立する。多大な犠牲を払ったものの、史上初の共産主義国家を生んだ民衆の姿に人類の希望を託す人々がいる一方で、1924年に最高指導者となったスターリンの動きに新たな脅威を感じ取り、独裁の強化に警鐘を鳴らす人々もいた。

尾崎喜八は本書の立ち位置について、「これは一つの政体や一つの学説の実践への然りでもなければ否でもない」(訳書P266)と述べている。デュアメル自身が語るところによれば、「何ものよりも強い革命がこの民衆の上へ倒れかかった以上、少なくともそれがもたらす偉大なもの、永続的なもの、健全なものを、正当に認めようとしようではないか。無益な愚痴はやめにして、遂行された事実の前に席を取ろうと努めようではないか」(同P248)ということである。

予断を持つことなく、あるがままに見るというのは難しいものだが、詩人の眼差しはさすがに鋭い。デュアメルはソ連の明暗を鋭敏に見て取っている。

時代が揺れるとき、新たな現実を書き込む余白が生まれる。どんな結末を迎えるかは、書き終えてみなければ分からない。ただソ連政府は自重自戒し、ロシア民衆の幸福を追求してほしい。本書には、そんな願いが込められているように思う。

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アンドレ・モロワの蔵書票

【尾崎喜八訳『モスコウの旅』龍星閣から ※現代表記に改めた】
「たえずその歩度を変え、
その方向を転換している試験時代における一制度に対して、
同意を与えるか拒絶するか、いずれかに決しなければならない
ということがいえるであろうか」(P5)

「私は言わずにはいられないことをみな言った。
そしてもしそういう私を人が許さなかったとしても、
自分ではそんなことに気がつかなかったと
告白するのほかはないのである。私が出会った人々、
私が敵意を持ってやって来たのではない
ということを確信していた人々は、
焦燥も皮肉も示さずに私に耳を傾けた。
そういう人々の多数の注意深い顔つきと、
彼らの返事の仕方とを私は思い出す」(P7)

「かなり冷静を欠いた人たちですら、
おのれを矯正しようとする欲望を持っているように
私には見えた。換言すれば、
自分たちの感情を私に分けようとするよりも、
私の感情を努めて知ろうとする態度を示したのだった」
(P7~8)

「ロシア人はボルシェヴィストよりも一層大きな、
一層永続的な何物かである」(P8)

「嘲弄が一つの大きな民衆の未来に、
又恐らくは(誰か知ろう)一つの世界の未来に対して向けられる場合、
私はそれを許すことができない」(P12)

「彼(※ソ連)は航海する。
そして全世界は疑いをもって、憤怒をもって、彼を見つめる。
世界は彼を認めようともせず、知ろうとさえ欲しない。
世界は間違っている。その首領等の誤謬ないし熱情が
いかなるものであったにせよ、また今日いかなるものであるにせよ、
永久に人類の名誉である精神たちを生んだ
一億五千万人の民衆、このような民衆は、
我々の謙虚な注意を促すことをやめはしないのである」(P24)

「若さの力が未だ私の腰を押す。
前へ! 前へ! と。私は樹を植える時でさえ、
いつか自分がその果実を味わうことができるなどと
まじめになって考えはしない」(P26)

「多くの他国の民衆以上に
ロシアの民衆は社交好きの特徴を持っている。
彼らは集合することが大好きだ(中略)
肉体や霊魂の接触の中で
ある酔うような新鮮な熱情を、
ある信頼の本体を求めるためである(中略)
ロシアの民衆の気質は彼らを群れの生活に適させているし、
また彼らの運命そのものの中にも、共産主義ではなくても、
『共同』という言葉が刻まれている」(P32~33)

「絵画では、根気よく見るということが
理解のための第一条件である」(P58)

「すべての大芸術家の作品の中から、
人はめいめい自分に適した栄養を探し出さなければならない。
この頁は百万の人間を喜ばせる。
この頁は千人を。そしてこの頁は二十人を。
これこれの句を詩人は確かに彼自身のためにだけ書いた。
しかしこれこれの別の句は、
我々のうちの誰のためにでもなく、
実に未来のために、絶対なる者のために、
もしもこういってよければ神のために書かれたものである。
それならば各人が自分の分け前を取るがいい。
そして少しずつ最も貴重な蜜の方へ
登っていく者があるとすればますますいい」(P62~63)

「魂はいつか目覚めて運動に移らなければならない。
失敗が何だろう! 損失が何だろう!
一つの叡智が花咲き実を結ぶためには、
百の眼が見なければならぬ」(P64)

「『エルミタージュ』は素晴らしい。
それは訪問者を恍惚とさせる。
人はそれに数時間を与える。
しかしそれは全生涯を要求する」(P65)

「他の多くの国でと同様、
ロシアでも官憲の検閲が精神の仕事を脅かしている(中略)
彼らはこう言われた、『諸君は現実主義者たれ!』と。
彼らはおとなしくそうなっているように見える。
そしてこの服従は、それが寛大から出たものであるがために、
必ず批評的意識のある種の曇りを伴わずには済まないのである」
(P75~76)

「読むことが知ることの条件であり、
知ることが一つの善であるという解釈をもしも人が持つとすれば、
図書館の光景こそは理想的である(中略)
私のように生来孤独の精神の者にとっては
図書館は実にありがたいものであって、
それはそこへ出入りする各々の魂を孤立させ、
それぞれの避難所を彼らに与えてくれるのである。
そのレニングラードの図書館の無数の貴重な書物の間で、
私たちはプーシキン、ゴーゴリ、ドストエフスキー、
トルストイ、チェーホフ等の原稿を熟覧することができた。
新しいロシアは彼女の偉人たちに名誉を与えている」
(P132~133)

「あなた(※後にロマン・ロランの妻となるマリー・パヴロヴナ)も十分ご存じの通り、
私はロシアの革命の反対者ではありません。あべこべです(中略)
彼らが百姓に経済学を教えるのは道理あることです。
それ自身の中に資本主義の萌芽を持っている経済学を。
しかし肝心なことは、金儲けへの熱情に限界を設けることです。
正しい大胆な法律をもって、
悪い百姓が善い百姓の邪魔をすることをできるだけ禁じ、
善い百姓が悪い百姓から搾取することをできるだけ禁じることです」
(P148)

「いつかソビエト連邦が
旧制度の警察法の慣習を放棄することができるかどうか、
それを心から祈りはするが、今のところ私には分からない。
レニングラードやモスコウのある社会で人が呼吸するところの、
そして恐怖時代の悪夢の思い出に似通ったところの、
あの相互密告の空気を私は好まない」(P214)

「世界が世界であるためには、
人間はすべて在るがままの人間でなくてはならない」(P225)

「私は善い信仰を持ち続けている人の精神と役割を理解したい。
私はその人を無私な、真摯な、心と素行とにおいて純潔な人、
約言すれば完全な人だと想像する」(p235)

「私はあの恐怖時代の罪悪を忘れもしなければ許しもしない。
何ものたりとも私からあんな罪に対する同意の一言を
引き出すことはできないだろう。しかし嵐がきた以上、
革命が、何ものよりも強い革命がこの民衆の上へ倒れかかった以上、
少なくともそれがもたらす偉大なもの、永続的なもの、
健全なものを、正当に認めようとしようではないか。
無益な愚痴はやめにして、遂行された事実の前に
席を取ろうと努めようではないか」(P248)

「どうかロシアが外国人をもてなすことに満足しないで、
自国の市民にまったくの独立と、
まったくの自由とを与えるようにと望む」(P258)

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