不健全の見本市
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ここは都会の中の都会であり、
世界の中の世界であり、肉食人類の内陣であり、
科学的死の王国である(中込純次訳 P88)
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本書はフランスの詩人ジョルジュ・デュアメルの米国体験記『未来生活情景』である。1930年にメルキュール・ド・フランスから出た。フランスの作家アンドレ・モロワの旧蔵書で、デュアメル自筆の献辞が書き込まれている。
「アンドレ・モロワに
真の文明が花咲くところを知る君へ
――敬意と思い出を込めて
デュアメル
1930年5月」

第1次大戦後、米国は空前の経済成長を遂げ、「黄金の20年代」とも形容される繁栄を謳歌した。都市化が進み、大量生産・大量消費の生活様式が確立、自家用車や冷蔵庫などの家電製品も普及した。
世界が憧れる未来の生活を手に入れたかのような米国を訪れたデュアメルは、そこに軽薄な流行と死の匂いを嗅ぎつける。デュアメルの筆致はソ連の明暗を報告した『モスクワの旅』より辛辣で、米国社会を不健全の見本市でもあるかのように描いている。人間が機械の奴隷となり、ロボット化する恐怖を暗示的に示している点は、フロムの『正気の社会』(1955年)にも通じる精神を感じる。
デュアメルが語る米国体験は、現代日本を訪れた外国人の報告のようにも聞こえる。工業化を推し進め、成熟・完熟して腐敗が進む現代日本の姿は、米国型の先進工業国が辿るべき一つの必然なのだろうか。
本書の邦訳は、審美社から中込純次訳が出ている。

アンドレ・モロワの蔵書票
【中込純次訳『未来生活情景』審美社 から】
「いかなる国家も、アメリカ合衆国ほど、
工業文明の過剰に思いきり惑溺した国はまだかつてなかった」(P11)
「アメリカは我々ヨーロッパ人のために
『未来』を演じている」(P12)
「物質文明から見れば、アメリカ国民は、
我々の国民よりは年老いた人民である。
この人民はおそらく実際の成熟期がなくて、
にわかに年老いた国民で、
今日すでに我々の未来生活の諸情景を、
我々に演じて見せている」(P12)
「私は平和の讃美に生涯を捧げた。
私が憂慮を告白するのは、
やはり平和を想うからである」(P13)
「『アメリカを強力にし、偉大にしているのは、
実にすべてを本気になって考えるアメリカ人が
常に存在するからです。』と船長はつぶやいた」(P19)
「(※映画館)大きな俗っぽい遊女屋のような贅沢だ。
精神が空っぽみたいな群集のために、
精神の無い機械によって造られた工業的な贅沢だ」(P35)
「誰も『人殺し!』と叫ぶものはない。
この大衆は居眠りをして、チュウインガムを噛み、
おくびを吐き、溜息をつき、時々腹をかかえて笑い、
ヒステリックな映像を眺めながら、闇の中で消化する。
そして誰も『人殺し!』と叫ぶものはない。
というのは、ここでは人々が巨匠達を殺しているからだ。
我々が青年時代から、口先だけでなく、
心から口ずさんできたすべての作品を、
情熱の時代に我々のパンであり、研究であり、
光栄でもあった、これら全ての崇高なる歌を、
我々の大家の血と肉とを代表しているすべての思想を、
人々はずたずたに寸断してしまった。
そのような音楽が今、生温い豚脂の波の上を
見苦しい漂流物のように流れてゆく。
それだのに、誰も人殺しと叫ぶものはない」(P39)
「およそ創作と名のつく作品が、
残されようと努力しているのに、
この映画はすべてが虚偽で、勝手で、
荒唐無稽な、映画の特殊の世界だけ表現して、
人生は表現せずに、消えてゆく」(P41)
「シネマは下層民の慰安である(中略)
何等の努力も要求しない、思想に何の連絡も要しない、
何の疑問も起こさせない、何の問題にも真面目にぶつからせない、
どんな情熱も火をつけない、心の奥底に何の光明も眼覚めさせない、
いつか、ロサンゼルスのスターになるという愚かな希望以外には、
何の希望も持たせない観覧物(スペクタクル)だ」(P42)
「何ら知的な努力もなしに獲得した
はかない表皮的な快楽によって、
甘やかされたこういう手合は、
いつかは長い息を必要とする作品を完成し、
そして、僅かなりとも思想の力により
自己を向上させる道を失うだろうと私は断言する」(P43)
「それを理解することにより
私を一個の人間にしてくれた芸術作品のすべては、
先ず私にとっては一つの征服を意味する。
私は高度の闘争をもって、それらに到達せねばならなかった。
激しい熱情をかたむけた後に、それらに値せねばならなかった(中略)
映画は肌をゆるし、身を売るのだ。
彼女は我々の精神をも感情をも、試練にあわせない。
彼女は知るところを直ちに我々に告げるだけである。
彼女には神秘も迂路曲折も、奥底も、慎み深さもない。
我々の心を満たすのに浮身をやつし、
我々にいつも満ち足りぬ感情を起こさせる」(P44)
「ベートーヴェン、ワグネル、ボードレール、
マラルメ、ジョルジョネ、ヴィンチ――
私は思い出すまま秩序なく引例するが、
およそ百人はある――これが真の芸術家である。
これら偉大なる人物の作品を理解するために、
これを説明し、その滋味を吸い取るために、
私は常に努力したし、努力しつつある。
その努力は私を向上させてくれ、
これを私の生涯の最も楽しい勝利の中に数えることが出来る。
シネマは時には私を慰め、感動させることはある。
だが、ついぞ私に向上することを求めなかった。
それは芸術ではない。それは芸術というものではない」(P44)
「どんな死んだ完全よりも、
むしろ生きた不完全の方を取ります」(P47)
「アメリカ人は思想と現象の混沌の中に、
発展するもの、繁殖するもの、成功するもの、
一口に言えば未来のあるものを見分ける天才を持っている」(P49)
「人間が或る程度の教養に達して、
彼等の徳と希望の感情を抱くに至るや否や、
彼等は国家的暴君或いは外国支配から課せられる束縛に
耐えられません。結局彼等はその代りに、
他の独裁者、似非文明の独裁に完全に自己を順応させます」(P50)
「ビルディングは生える。生える、
それは或る人々の霊感も、他の人々の緩慢な経験も待ってはおられない。
あまり多くの共通の利害がその完成を要求する」(P83)
「ビルディングの生命は短いと私は断言する。
ビルディングは死ぬべきものの生命を生きている。
それは30年、おそらくそれ以下のために建てられる。
それを建てた同じ男達が、明日それを破壊し、
その場所へより大きな、より複雑した、
更に高価なものを建てるであろう。
それを活気づけているすべての思想は、流行と死の匂いがする。
これを建てているその時ですら、
人はそれを壊す手段を考えている。ビルディングは、
最も新しい要求に答えるかどうかという感覚しかない。
それ自身醜悪でも不愉快でも不恰好でもないにしても、
一瞬間も、我々が真実の芸術の仕事において、
いつも発見する永遠の味わいを与えない」(P84)
「アメリカ精神の唯一の通訳者である建築芸術は、
その計画において、手段において、その製作において
腐敗しているように見える。それは最も正しい野心、
即ち時間に抗することを知らない」(P84)
「ここは都会の中の都会であり、
世界の中の世界であり、肉食人類の内陣であり、
科学的死の王国である」(P88)
「何という悪魔でしょう!
広告の領土が始まるところは、
私の忍耐と、快楽と、善意の終わるところです。
侵害を容赦してはなりません」(P116)
「現代の広告は公衆に対する
侮辱的軽視を示しているということです。
広告は人間を最も愚鈍な下等動物扱いにしているのです」(P118)
「広告は人間にあまり粗雑な又軽蔑すべき観念を与えます。
私はこんな恥辱を極力排除し、一つの同盟を作ることを、
あなたに提案します。我々を丸め込み、馬鹿のごとく考えて、
獲得しようと思っている、市場主に恥あれ!」(P119)
「私が真価以上に世間に通用することを承認しないということが、
私にとって重大なのです」(P121)
「スポーツは――必然の結果――
最も驚くべき虚栄の学校となった」(P138)
「人々がここで食べているものを私は好まない。
それは健康で自然なところがない。
果物でも鶏卵でも、機械に突き出されたように見える。
最も基本的な食料さえも、工業の屑のような後味がある」(P155)
「へとへとに疲労している。
しかし、抗議と否認との聖なる怒りに燃えている。
この節度のない、調和のない文明に、私が吸い込まれないこと、
これを承認しないこと、これに負けないこと、欺かれないことを、
自分に証拠立てて貰うために、又この濫費と、襲撃と、慢心との
共犯者でないことを、自分に証拠立てて貰うために、
我が祖先達の霊魂に訊問する」(P161)
「将来の多くの約束をすでに我々に感知せしめている、
西欧の彼方の国、アメリカ合衆国において、
西欧の旅行者の心を打つものは、
我々が昆虫の習俗と理解していると信じるところのもの――
個人の喪失、種々の社会形態が稀少化し、徐々に画一化すること、
専門化された階級に団体が秩序づけられること、
マーテルリンクの言うところの蜜蜂の精神或いは蟻の精神の、
曖昧な要求に対するすべての服従――への人類習俗の歩みである」(P166)
「最も単調な仕事にたずさわっている人々は、
一生かかっても絶対的にその個人的満足感を持ち得ないであろう。
そして、仕事が許せば彼等は職業を更えるだろう。
個人の責任感は必然的に制限されることは疑いない」(P169)
「この工業的商業的独裁制のすべての哲学は、
人類に欲求と欲望とを課すという、非宗教的な計画に成功した」(P170)
「アメリカの商売は取引の限界を絶えず後退させ、
絶えず迫り来る満期を翌日に延期する方法を心得ている。
そして、アメリカ全体が、アメリカにもっと多くの何物かを売らせるために、
熱心に借金する。ご立派な献身である!」(P172)
「1929年の末におけるように、
ときどき烈しい恐慌が起こって、すべての書類、すべての幻想を吹きとばし、
一時間でジャングルをすっかり清浄化し、
叫んでいる素人海賊の群を、地上に引き倒し、
ごちゃごちゃにして喘がせる」(P173)
「西欧は2つの――1つはソヴィエトに、
1つはアメリカに行われている――実験の間にたって、
恐怖にあらざれば驚愕に唖然としている(中略)
ソヴィエトの実験は、純粋に政治的、イデオロジックである(中略)
もう1つの実験は、すべての方面から、政治の限界をはみ出している。
この実験は、道徳、科学、宗教を働かせ、
それはただ『制度』を意味するのみでなく、
『文明、生き方』を意味するのである(中略)
アメリカの実験は将来を確信して、勝ち誇っている。
それはほとんど異論の余地がない。全世界の尊敬を握っている」(P178)
「アメリカ的方法は、単純な人間達を魅惑し、子供達の心を奪う。
私が知っているすべての子供達は、事が金銭、娯楽、名誉、威力
および労働に関していると見れば、直ちにアメリカ風に考える」(P178)
「この人民は機械の歯車――やがて誰にもその秘密と、
重要な継ぎ目と、傷ついた部分と、生命的中心とが分からなくなるであろう
――の中に巻き込まれている」(P180)
「例えアメリカが倒れても、
アメリカ文明は滅びないであろう。
アメリカ文明はすでに世界を支配している」(P181)
「アメリカ精神は或る地方を、或る町を、或る家を、
或る精神を徐々に植民地化する」(P181)
「おそらく欠けているのは、偉大なる不幸だ。
偉大なる試練だ。一国民を成熟させ、反省させ、
自己の真の宝を大切にさせ、より美しい果実をおしげもなく放出させ、
彼の真の道を発見させる冒険ではないであろうか?」(P182)

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ここは都会の中の都会であり、
世界の中の世界であり、肉食人類の内陣であり、
科学的死の王国である(中込純次訳 P88)
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本書はフランスの詩人ジョルジュ・デュアメルの米国体験記『未来生活情景』である。1930年にメルキュール・ド・フランスから出た。フランスの作家アンドレ・モロワの旧蔵書で、デュアメル自筆の献辞が書き込まれている。
「アンドレ・モロワに
真の文明が花咲くところを知る君へ
――敬意と思い出を込めて
デュアメル
1930年5月」

第1次大戦後、米国は空前の経済成長を遂げ、「黄金の20年代」とも形容される繁栄を謳歌した。都市化が進み、大量生産・大量消費の生活様式が確立、自家用車や冷蔵庫などの家電製品も普及した。
世界が憧れる未来の生活を手に入れたかのような米国を訪れたデュアメルは、そこに軽薄な流行と死の匂いを嗅ぎつける。デュアメルの筆致はソ連の明暗を報告した『モスクワの旅』より辛辣で、米国社会を不健全の見本市でもあるかのように描いている。人間が機械の奴隷となり、ロボット化する恐怖を暗示的に示している点は、フロムの『正気の社会』(1955年)にも通じる精神を感じる。
デュアメルが語る米国体験は、現代日本を訪れた外国人の報告のようにも聞こえる。工業化を推し進め、成熟・完熟して腐敗が進む現代日本の姿は、米国型の先進工業国が辿るべき一つの必然なのだろうか。
本書の邦訳は、審美社から中込純次訳が出ている。

アンドレ・モロワの蔵書票
【中込純次訳『未来生活情景』審美社 から】
「いかなる国家も、アメリカ合衆国ほど、
工業文明の過剰に思いきり惑溺した国はまだかつてなかった」(P11)
「アメリカは我々ヨーロッパ人のために
『未来』を演じている」(P12)
「物質文明から見れば、アメリカ国民は、
我々の国民よりは年老いた人民である。
この人民はおそらく実際の成熟期がなくて、
にわかに年老いた国民で、
今日すでに我々の未来生活の諸情景を、
我々に演じて見せている」(P12)
「私は平和の讃美に生涯を捧げた。
私が憂慮を告白するのは、
やはり平和を想うからである」(P13)
「『アメリカを強力にし、偉大にしているのは、
実にすべてを本気になって考えるアメリカ人が
常に存在するからです。』と船長はつぶやいた」(P19)
「(※映画館)大きな俗っぽい遊女屋のような贅沢だ。
精神が空っぽみたいな群集のために、
精神の無い機械によって造られた工業的な贅沢だ」(P35)
「誰も『人殺し!』と叫ぶものはない。
この大衆は居眠りをして、チュウインガムを噛み、
おくびを吐き、溜息をつき、時々腹をかかえて笑い、
ヒステリックな映像を眺めながら、闇の中で消化する。
そして誰も『人殺し!』と叫ぶものはない。
というのは、ここでは人々が巨匠達を殺しているからだ。
我々が青年時代から、口先だけでなく、
心から口ずさんできたすべての作品を、
情熱の時代に我々のパンであり、研究であり、
光栄でもあった、これら全ての崇高なる歌を、
我々の大家の血と肉とを代表しているすべての思想を、
人々はずたずたに寸断してしまった。
そのような音楽が今、生温い豚脂の波の上を
見苦しい漂流物のように流れてゆく。
それだのに、誰も人殺しと叫ぶものはない」(P39)
「およそ創作と名のつく作品が、
残されようと努力しているのに、
この映画はすべてが虚偽で、勝手で、
荒唐無稽な、映画の特殊の世界だけ表現して、
人生は表現せずに、消えてゆく」(P41)
「シネマは下層民の慰安である(中略)
何等の努力も要求しない、思想に何の連絡も要しない、
何の疑問も起こさせない、何の問題にも真面目にぶつからせない、
どんな情熱も火をつけない、心の奥底に何の光明も眼覚めさせない、
いつか、ロサンゼルスのスターになるという愚かな希望以外には、
何の希望も持たせない観覧物(スペクタクル)だ」(P42)
「何ら知的な努力もなしに獲得した
はかない表皮的な快楽によって、
甘やかされたこういう手合は、
いつかは長い息を必要とする作品を完成し、
そして、僅かなりとも思想の力により
自己を向上させる道を失うだろうと私は断言する」(P43)
「それを理解することにより
私を一個の人間にしてくれた芸術作品のすべては、
先ず私にとっては一つの征服を意味する。
私は高度の闘争をもって、それらに到達せねばならなかった。
激しい熱情をかたむけた後に、それらに値せねばならなかった(中略)
映画は肌をゆるし、身を売るのだ。
彼女は我々の精神をも感情をも、試練にあわせない。
彼女は知るところを直ちに我々に告げるだけである。
彼女には神秘も迂路曲折も、奥底も、慎み深さもない。
我々の心を満たすのに浮身をやつし、
我々にいつも満ち足りぬ感情を起こさせる」(P44)
「ベートーヴェン、ワグネル、ボードレール、
マラルメ、ジョルジョネ、ヴィンチ――
私は思い出すまま秩序なく引例するが、
およそ百人はある――これが真の芸術家である。
これら偉大なる人物の作品を理解するために、
これを説明し、その滋味を吸い取るために、
私は常に努力したし、努力しつつある。
その努力は私を向上させてくれ、
これを私の生涯の最も楽しい勝利の中に数えることが出来る。
シネマは時には私を慰め、感動させることはある。
だが、ついぞ私に向上することを求めなかった。
それは芸術ではない。それは芸術というものではない」(P44)
「どんな死んだ完全よりも、
むしろ生きた不完全の方を取ります」(P47)
「アメリカ人は思想と現象の混沌の中に、
発展するもの、繁殖するもの、成功するもの、
一口に言えば未来のあるものを見分ける天才を持っている」(P49)
「人間が或る程度の教養に達して、
彼等の徳と希望の感情を抱くに至るや否や、
彼等は国家的暴君或いは外国支配から課せられる束縛に
耐えられません。結局彼等はその代りに、
他の独裁者、似非文明の独裁に完全に自己を順応させます」(P50)
「ビルディングは生える。生える、
それは或る人々の霊感も、他の人々の緩慢な経験も待ってはおられない。
あまり多くの共通の利害がその完成を要求する」(P83)
「ビルディングの生命は短いと私は断言する。
ビルディングは死ぬべきものの生命を生きている。
それは30年、おそらくそれ以下のために建てられる。
それを建てた同じ男達が、明日それを破壊し、
その場所へより大きな、より複雑した、
更に高価なものを建てるであろう。
それを活気づけているすべての思想は、流行と死の匂いがする。
これを建てているその時ですら、
人はそれを壊す手段を考えている。ビルディングは、
最も新しい要求に答えるかどうかという感覚しかない。
それ自身醜悪でも不愉快でも不恰好でもないにしても、
一瞬間も、我々が真実の芸術の仕事において、
いつも発見する永遠の味わいを与えない」(P84)
「アメリカ精神の唯一の通訳者である建築芸術は、
その計画において、手段において、その製作において
腐敗しているように見える。それは最も正しい野心、
即ち時間に抗することを知らない」(P84)
「ここは都会の中の都会であり、
世界の中の世界であり、肉食人類の内陣であり、
科学的死の王国である」(P88)
「何という悪魔でしょう!
広告の領土が始まるところは、
私の忍耐と、快楽と、善意の終わるところです。
侵害を容赦してはなりません」(P116)
「現代の広告は公衆に対する
侮辱的軽視を示しているということです。
広告は人間を最も愚鈍な下等動物扱いにしているのです」(P118)
「広告は人間にあまり粗雑な又軽蔑すべき観念を与えます。
私はこんな恥辱を極力排除し、一つの同盟を作ることを、
あなたに提案します。我々を丸め込み、馬鹿のごとく考えて、
獲得しようと思っている、市場主に恥あれ!」(P119)
「私が真価以上に世間に通用することを承認しないということが、
私にとって重大なのです」(P121)
「スポーツは――必然の結果――
最も驚くべき虚栄の学校となった」(P138)
「人々がここで食べているものを私は好まない。
それは健康で自然なところがない。
果物でも鶏卵でも、機械に突き出されたように見える。
最も基本的な食料さえも、工業の屑のような後味がある」(P155)
「へとへとに疲労している。
しかし、抗議と否認との聖なる怒りに燃えている。
この節度のない、調和のない文明に、私が吸い込まれないこと、
これを承認しないこと、これに負けないこと、欺かれないことを、
自分に証拠立てて貰うために、又この濫費と、襲撃と、慢心との
共犯者でないことを、自分に証拠立てて貰うために、
我が祖先達の霊魂に訊問する」(P161)
「将来の多くの約束をすでに我々に感知せしめている、
西欧の彼方の国、アメリカ合衆国において、
西欧の旅行者の心を打つものは、
我々が昆虫の習俗と理解していると信じるところのもの――
個人の喪失、種々の社会形態が稀少化し、徐々に画一化すること、
専門化された階級に団体が秩序づけられること、
マーテルリンクの言うところの蜜蜂の精神或いは蟻の精神の、
曖昧な要求に対するすべての服従――への人類習俗の歩みである」(P166)
「最も単調な仕事にたずさわっている人々は、
一生かかっても絶対的にその個人的満足感を持ち得ないであろう。
そして、仕事が許せば彼等は職業を更えるだろう。
個人の責任感は必然的に制限されることは疑いない」(P169)
「この工業的商業的独裁制のすべての哲学は、
人類に欲求と欲望とを課すという、非宗教的な計画に成功した」(P170)
「アメリカの商売は取引の限界を絶えず後退させ、
絶えず迫り来る満期を翌日に延期する方法を心得ている。
そして、アメリカ全体が、アメリカにもっと多くの何物かを売らせるために、
熱心に借金する。ご立派な献身である!」(P172)
「1929年の末におけるように、
ときどき烈しい恐慌が起こって、すべての書類、すべての幻想を吹きとばし、
一時間でジャングルをすっかり清浄化し、
叫んでいる素人海賊の群を、地上に引き倒し、
ごちゃごちゃにして喘がせる」(P173)
「西欧は2つの――1つはソヴィエトに、
1つはアメリカに行われている――実験の間にたって、
恐怖にあらざれば驚愕に唖然としている(中略)
ソヴィエトの実験は、純粋に政治的、イデオロジックである(中略)
もう1つの実験は、すべての方面から、政治の限界をはみ出している。
この実験は、道徳、科学、宗教を働かせ、
それはただ『制度』を意味するのみでなく、
『文明、生き方』を意味するのである(中略)
アメリカの実験は将来を確信して、勝ち誇っている。
それはほとんど異論の余地がない。全世界の尊敬を握っている」(P178)
「アメリカ的方法は、単純な人間達を魅惑し、子供達の心を奪う。
私が知っているすべての子供達は、事が金銭、娯楽、名誉、威力
および労働に関していると見れば、直ちにアメリカ風に考える」(P178)
「この人民は機械の歯車――やがて誰にもその秘密と、
重要な継ぎ目と、傷ついた部分と、生命的中心とが分からなくなるであろう
――の中に巻き込まれている」(P180)
「例えアメリカが倒れても、
アメリカ文明は滅びないであろう。
アメリカ文明はすでに世界を支配している」(P181)
「アメリカ精神は或る地方を、或る町を、或る家を、
或る精神を徐々に植民地化する」(P181)
「おそらく欠けているのは、偉大なる不幸だ。
偉大なる試練だ。一国民を成熟させ、反省させ、
自己の真の宝を大切にさせ、より美しい果実をおしげもなく放出させ、
彼の真の道を発見させる冒険ではないであろうか?」(P182)

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