印象派の画家たちの日常

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画家は彼らの悲しい物語には食傷している。
そして世人はそんなことには一向無関心だ
(ルノワールの手紙 日付なし P86)
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ポール・ガッシュ編/式場隆三郎訳 耕進社
昭和10年(1935年)刊

本書はゴッホの晩年を世話したドクトル・ガッシュの家に保存されていた印象派の画家たちの手紙を訳出したものである。あとがきによれば、ドクトルの息子ポール・ガッシュが編集に当たり、フランスでも公開されたことのない本書簡集の発表権を中央公論社が獲得。まず「中央公論」誌上で発表し、その後、単行本にしたようだ。

本書はギヨマン、ピサロ、モネ、ルノワール、シスレーが、友人であるドクトル・ガッシュやウジェーヌ・ミュレルに宛てた手紙を収める。印象派が世に認められる以前に書かれたものが多く、経済的な援助を請う内容が目立つ。印象派の画家たちがいかに貧窮と戦いながら精進を続けていたかがよく分かる。

【本書から ※現代表記に改めた
「ルノワールに訊ねたら色々な情報がきけると思う。
展覧会(※印象派展)の準備はそこでやっているのだから。
セザンヌはいつも彼の家で非常に勉強している」
(ギヨマンの手紙 1877年2月27日付 P37)

「今日妻を診察に来た医者が、
明日かその翌日には事件が起ころうと言う(※モネ夫人の出産)。
全く気が狂いそうだ。何しろ一文の持ち合わせもなく、
いろいろな最も必要な品々がないときている。
御親切と御同情に甘えて、この際またも
100フランお借りすることになるけれども、
ぜひお願いしたいものです(中略)
重ねて100フランを前借さして下すって、
近くパリに出てこられたら、絵で支払わせてくれませんか。
そうできれば千万感謝。この大事件に対して
必要な品を持たずに苦しんでいる私の哀れな妻に、
勇気と安心を与えて下さることになる」
(モネの手紙 1878年2月9日付 P71~72)

「君に長いこと安否一つ知らせず、
殊に君に差し上げる絵を長々お待たせした私を
悪く思ってくれなければいいがと案じている。
しかし御承知のようにこの状態では思うにまかせぬのだ。
私は思う存分に仕事ができない。
ある時には天気がよくないし、
それに日々の入費のことで現実の悲哀を覚える(中略)
妻が見事な子どもを産んで2週間というもの
看護に当たらねばならなかった。
その間は絵のことなどを考えることは不可能だった。
要するにこうした理由を御了承の上、
あまり御立腹なきように切望する」
(モネの手紙 1878年4月11日付 P74~75)

「画家は彼らの悲しい物語には食傷している。
そして世人はそんなことには一向無関心だ」
(ルノワールの手紙 日付なし P86)