ベートーヴェンの「全書」

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日常の苦しい闘いを強いられていた時、
ベートーヴェンはその交響曲という騎兵隊のなかで
私を鍛えてくれた隊長であった。
(みすず書房『ロマン・ロラン全集【25】』所収
「第九交響曲」蛯原徳夫・北沢方邦訳 P9)

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本書はフランスの作家ロマン・ロランの連作『ベートーヴェン 偉大な創造の時期』の第5巻、「第九交響曲」である。1943年にサブリエ社が出した普及版。見返しにロランの自筆で「善への美(Das Schöne zum Guten)」と書き込まれている。作家のJean Réandeに贈ったもので、ロランの死の1カ月前、1944年11月に書かれたものだ。

「善への美」という句は、ベートーヴェンの「奉献歌(Opferlied)」作品121にある。ロランによれば、ベートーヴェンはこの言葉を自分の「日常の祈祷句」だといい、好んで繰り返し唱えていた。色々な旋律をつけて友人たちにも書き送っていたという。※1

ベートーヴェンの「全書」ともいえる第九交響曲を取り上げた本書は、「死を予期したロマン・ロランが、いわば《遺書》として異常な熱意と早さで執筆した」※2といわれる。その意義について、ロラン研究の大家デュシャトレは次のように指摘している。

「『ベートーヴェン――第九交響曲』の原稿を書き上げた。
彼の全生涯に連れ添ったこの音楽家は、
みずからの内面において数々の相反するものを調和させようと努め、
そしてとうとう静穏の境地に達した闘士だったが、
彼はその闘いつづけた人のなかに兄弟のような魂をふたたび見いだした。
ロランは好んでつぎのことを思い起こさせようとした――
『最後の諸作品に見られる超脱、
ただひとり〈神〉とともにいて、数々のかりそめの形態と戯れ、
そして〈存在〉のただなかに座を定める魂』。
彼はこうしたあれこれのことばを書き記したさい、
彼自身のことを考えずにはいられなかったのではないか」※3

「《人類を永遠へと運びゆくべき方舟を建造する仕事》をしようとした
このベートーヴェンに接すれば、ロランのことを考えないではいられない」※4

「ベートーヴェンの音楽は、しばしば内面の悲劇を、
自分自身との疲れることなき闘いを表現しており、
彼の作品はある種の告白であって、そこには彼のもろもろの闘いが、
また《受容された宗教的秩序にみなぎる高邁な安らぎ》が表現されている。
それこそ、ロランが到達したと感じた地点なのだ!」※5

たしかに、70分前後におよぶ第九の演奏を聴くと、原初の記憶、誕生の苦悩、人生の予感、あわただしい日々、広場の市、静かな喜びに満ちたやわらかな朝、愛の安らぎと破局、自己否定の苦しみと迷い、すべてを失い傷ついた魂の絶望、荘厳な夜明けのように魂の奥底から湧きあがる生(歓喜)の啓示、死して成る新たな生の浄福、確信にあふれた前進の再開、苦しみと共にする愉快な進軍、高い声からの啓示、大いなるものへの祈り、成し遂げられた合一、生の頂へ――と、まさに一つの生命を生きた心地になる。

「ベートーヴェンの芸術の
誕生・展開・完成の秘密を理解するとき、
われわれが受ける啓示は、
幽暗な源泉から自覚と完成へ向かう創造意志を、
《善への美》の経路として
われわれが切実に味わうことによって受け取る
あのユニックな力、あるいは歓喜である。
ロマン・ロランは永い全生涯の体験を通じて結論する――
ベートーヴェンのこの啓示は『準・福音的な力』であると。
ベートーヴェンはこの力を、
自分以上のものから受け取ったことを意識していた。
それゆえに晩年のベートーヴェンは
(そしてまた晩年のロマン・ロランは)
誇らしいとともに謙虚であった。
『使命』――高い心の伝達者であることの使命が、
そのように作用していた」
(みすず書房『片山敏彦著作集【2】ロマン・ロラン』P189~190)

※1 みすず書房『ロマン・ロラン全集【25】』所収「第九交響曲」蛯原徳夫・北沢方邦訳 P11
※2 同上 P142
※3 ベルナール・デュシャトレ著/村上光彦訳『ロマン・ロラン伝』みすず書房 P411
※4 同上 P412
※5 同上 P412


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みすず書房『ロマン・ロラン全集【25】』所収
「第九交響曲」蛯原徳夫・北沢方邦訳 から
【クローデル宛の書簡体序文】

「われわれのベートーヴェンが
私に打ち明けてくれた秘めごとのこの最後の書を、
私たちの再会の記念として
その友に献げることを許していただきたい。
われわれのベートーヴェンは、
私たちの二十歳の頃の光明であるとともに、
いまもなお西欧の闇と嵐のなかで輝いているのです!」(P8)

【序】
「私たちはかくも長いあいだ
――半世紀の余も――ともにあるいている!
私たちは古い道づれである。
彼がやってきて私の手をとり、
私を選び、私も彼を選んだのは、
私がまだ青年にもならないころであった。
……私は十四、五歳の子供で、
田舎からパリへとひき移され、
ただ一人で、友もなく、導き手もなく、
大都会の雑踏のなかに埋もれていた。
――その私にとって、ベートーヴェンは欠乏していた大気であり、
こがれてやまなかった『自然』であり、
信仰の喪失がひきおこした虚無のなかでの渇望の宗教であり、
闇のなかで無限のひろがりに向かってひらかれた窓であり、
存在する『あのもの』とのおぼろげな接触なのであった」(P9)

「私が大人となり、私のうちで生きようと欲していたもの、
すなわち諦めることを許さないあの魂の叫びを死の手から救うべく、
夢みるように生まれついた私の本性のねがいに逆らって
日常の苦しい闘いを強いられていた時、
ベートーヴェンはその交響曲という騎兵隊のなかで
私を鍛えてくれた隊長であった。
私はそこから、否定や懐疑や死にいたる情熱などの、
乱れた群れに突撃してゆく英雄的な精神の炎を汲みとったのであり、
また敗れて地にまみれた時でさえ、
あの『偉大な軍隊』(ナポレオンの軍隊の呼称でもある)の勝利に
歓声をあげたのであった」(P9)

「それから年をとったとき、
私は彼のうちに、魂がひとり『神』と向きあって
すぎゆくものの諸形象と戯れ、
『存在』の中心に座を占めている、
後期の諸作品の解脱を見いだした……
それはけっして抽象的な英知ではなく、
彼の音楽の魔力によって
私の血管にそそぎこまれた血液であった。
それは脈管を通って肢体のすみずみまで滲透し、
私の肉となり思想となった。
これは理性には理解できない深い生命の奇蹟である」(P9~10)

「いかなる音楽家といえども、
その生涯の終りにベートーヴェンほど誇り高く、
同時に謙虚に自己の使命を感じたものはなかった」(P10)

「彼は、大地にしっかりと根を下ろした人類の全体性と、
神において結ばれたすべての民族の友愛に約束される
大きな希望とを祝福している。――なぜならこれこそ、
『ミサ・ソレムニス』以後の晩年の諸作品のなかで
もっとも力づよい作品であり、もうひとつの聖務であり、
『聖祭』の第二幕であり――人間性の大ミサである
『第九交響曲』のもつ意味である」(P10)

「彼の天職はその畠を耕すこと、
時間のなかで働いて、ひとびとを永遠なものへ運ぶ
箱舟を造ることであった(中略)
かつて私が聖クリストフォルス(クリストフ)
――人間性を彼岸にわたす偉大な渡し守――
という象徴のもとに
ベートーヴェンをよみがえらせようとしたのも、
そのためであった。
ベートーヴェンは私を渡してくれた。
――今度は誰の番であろう?」(P11)

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【本編】
「他の八つの交響曲はいずれも生のある瞬間や
ひとつの重要な時間の直接的な表現である。
――すなわち若々しい希望、愛、英雄的な行為、
運命との悲壮な闘い、自然のなかでのまどろみ、
森の大きな幽暗さの幻想的な喚起、
憂いやディオニソス的なよろこび、
あるいはたんに(まれにではあるが)
気苦労から逃れて笑う精神のくつろぎ、などである。
それぞれがある一日のベートーヴェン
――ひとつのベートーヴェンである。
ひとつの生涯には多くの日々が含まれている。
そしてひとりの人間にも
――たとえベートーヴェンのように自己に忠実であり、
終始変らず、あたかも錆びない金属のようである場合にも――
幾人ものちがった人間がいる」(P16~17)

「『第九交響曲』は合流点である。
ひじょうに遠方から、またまったく異なった地方からきた多くの奔流――
あらゆる時代の人間のさまざまな夢想や意欲が、
そのなかに流れこんで混じりあっている」(P19)

「『第九交響曲』はまた他の八つの交響曲とちがって、
山の頂きから過去のすべてを見下ろす《回顧》であるともいえる。
『第八交響曲』と『第九交響曲』とのあいだに経過した長い年月
(十年から十一年)が、広くへだたった展望と、
呼び起こされた生涯の『全書』の鳥瞰とを可能にした」(P19)

「理解すべき重要なことは、
この第一動機(Kopfthema)に凝集した、
ベートーヴェンの創造的思考の信じがたい集中性である。
どの大作品でもその第一動機に
すでに作品全体の諸力や方向のさまざまな線や、
情緒や表情の無数の動きなどが、
力強く書きこまれてあるというのが、
彼の本性の法則なのである」(P29)

「他のいかなる作品でも、
第一動機は『第九交響曲』の第一楽章におけるほど
――それはこの交響曲全体においてもいえるであろう――
首領や大将軍という支配者の役割を演じてはいない。
第一動機は全部を包摂している。いたるところで、
見えあるいは見えない形でその現存が感じられる」(P29)

「その第一動機とはどんなものか。
――それは下行分散形のニ短調の完全和音以外の
なにものでもない――」(P29)

「天才の作品を研究するときは、
火を消すことからはじめないようにしよう!
なぜなら天才の本質を成しているのはまさにその火であり
『第九交響曲』は溶解状態にあるひとつの天体だからである」(P30)

「ベートーヴェンは自分の音楽の『速度』をひじょうに重んじていた。
シントラーによると、人が彼の作品を演奏したと聞くと、
なによりもまず《テンポはどうだったか》とたずね、
《ほかのことはみな彼にとって二義的であった》という」(P33)

「この『頌歌』をよく理解するためには、
愛と友情に酔いしれ、全世界に熱烈に接吻を投げかけていた
シラーの魂をかきたてた、よろこびと若さの燃えるような躍動を、
自己のなかでよみがえらせなくてはならない」(P59)

「シラーが『歓喜への頌歌』を書いたのは、
若く高潔なフリーメーソンたちの集いにおいてであり、
そして彼らのためなのであるし、結社員たちは
『頌歌』を自分たちのものとして快く受けとったのである。
彼らは若いシラーのこのうえもない支持者であった」(P59~60)

「十五年後に、自分にとっては、
《感情は少し燃えているが下手な詩であり、
完全にのりこえられてしまった発展の一段階を
しるしているにすぎないもの》として
シラーはこの歌を否認した」(P60)

「芸術においてかくも厳しかった
彼(※ベートーヴェン)の高い道徳感情は、
《道徳感情がなければ、われわれにとって美も崇高さもありえない》と
ライヒャルトに書き送っているカントのそれと、
まったく一致していたようだ」(P63~64)

「後にシラーを読みかえしたとき
(彼は生涯のあいだたえずシラーを読みかえしていた)、
ベートーヴェンは、シラーもカントの光りに導かれて
彼と同じ道をたどったことを確かめたのであり、
またそれによって彼にとってシラーが
より親しくまたより神聖なものとなったにちがいない。
であるから彼が、自己の大作品のひとつ、
すなわちその生涯の主要な段階をえがき、
その最後の段階を、遺言書を構成する広大な壁画のために
『歓喜への頌歌』をえらびとったとき、
『頌歌』がなにを表現し、いかなるものであり、
自分がそこからなにをひきだそうとしているか、
充分意識していたことは当然のことなのである」(P64)

「私は以前に、『歓喜』の出現はほとんど宗教的ともいうべき
神秘的な性質をおびるべきだと希望した。
私はそういうふうに理解していたのである。
しかしいまや私は、
ベートーヴェンがこの作品完成の二年後に、
それをひじょうに速いテンポで考えていた、
ということを認めなくてはならない。
――そして彼が速度をはやめているのは
歓喜の旋律のこの登場ばかりでなく、
交響曲全体にわたってであった。
一八二五年九月に、彼はスマートと語りあったとき、
交響曲全部の演奏のために手に時計をもってはかったら
四十五分であった、といっている」(P75)

「『歓喜』はデタシュではなくレガートの速い足どりで、
静かに『交響曲』に登場する。
つばめのように飛びながら地をかすめ、
ときおり、第四拍から第一拍へのテヌートで、
つむじ風のさなかで息を切らしては、
ふたたび息を取り戻す『歓喜』の姿が示される(中略)
あらゆる国々の無数の魂をとらえたこの旋律のこの力、
この魅力はどこからきたのか?(中略)
どんなことばも説明しないのに、
この旋律はただその線だけでわれわれに
ベートーヴェンの思想の大半を啓示する。
これは単純な民謡のもっとも純粋な形式である(中略)
力づよく苦難にみちた、生涯の『交響曲』である『第九』が、
自己完成にあたって民衆の歌を選びとったことをみとめるのは、
われわれにとって重要なことである」(P76~77)

「ベートーヴェンはむしろ
ゲーテよりもシラーのほうを尊敬していたようだ」(P79)

「『歓喜』の主題は勝利と自然力にみちて
全合唱で布告されて登場する。ひとはこの作品も終りに、
すなわち『歓喜』の勝利にいたったのだと思いこむだろう(中略)
おそらく『第五交響曲』のころのベートーヴェンであったなら、
こうした結末を着想しただろう。――しかし彼の円熟した思想は、
絢爛としているがうつろいやすい人間的勝利の段階をすぎた(中略)
祝聖された人間の『子』の――すなわち星々の円蓋高く君臨する
『いとしき父』のまなざしのもと、友愛にみちた全人類の抱擁としての――
『もうひとつの』ミサを開始する」(P91~92)

「神はそこに、ベートーヴェンの最後の諸作品では、
いたるところに、在る。神は露顕する」(P95)

「『啓示』の浄めのゆあみをあびた人類は、
いまやあたらしい光りにまったくひたされた
歓喜の讃歌をふたたびとりあげる。
全合唱――(今回は、先頭をあゆむのは女声合唱である)
――は同時に《歓喜よ、美しい神々の火花よ》と
《抱擁しあえ、無数のひとびとよ!》の二つの歌を、
アレグロ・エネルジコの心をわきたたせる速度の
きわめて緊迫した二重フーガで唱導する」(P95)

「神への感謝がふたたびくりひろげられるのは寺院の内部である。
なぜなら、あらたにとつぜんぬかづいた礼拝の姿勢
《Ihr stürzt nieder, Millionen?》
〔おんみらはひれ伏しているか、無数のひとびとよ?〕
にもどる男声合唱がみられるからである」(P96)

「彼はたぐいないといってもよい自己の記念碑を完成した。
なぜならそれは音楽の歴史のみならず、
ドイツ思想の歴史にとっても多くの価値をもつものだからである。
これは、その『レッシング論』における
ヴィルヘルム・ディルタイのような、
偉大な文学批評家たちの意見でもある。
ディルタイはそのなかで、思想劇(Gedankendrama)と、
カント、シラー、ヘルダー、そして
ヘーゲルにさえおよぼされたその影響を研究し、
ベートーヴェンの『第九交響曲』にその最高の表現をみている――
《この交響曲は、特殊な情念やその苦悩の道程によって、
世界の調和や神的『存在』の慈愛、
人間の普遍的愛や全生活に浸透する〔宗教的〕変容をうけた歓喜などが、
レッシングの啓蒙(Aufklärung)精神のなかで
まったく結びあっている普遍的気分(Stimmung)に達している。
かくしてベートーヴェンは、この詩のうちに存在した
すべてのうつろいやすいもの、死すべきものから、
この詩の本質をときはなち、
永遠なものへとたかめたのである》」(P99)

「ベートーヴェンの思想のもっとも内密で
もっとも深い鏡である『第九交響曲』においては、
熱烈な神秘主義と、『自然』と道徳的意識における
神への情熱的直観論と、シラーや、のちにみるように
おそらくシェリングなどの哲学の読書や、
東洋学者たちとの接触によって養われた
ゲルマン的=神話学的神知論など――要するに
彼の青春時代の精神のなかで、
英雄的で革命的にはたらいた意志によって
醸造されたいっさいのものが、まじりあっている」(P99~100)

「ベートーヴェンの思想が忠実にとどまっていたのは
一七九二年のボンであり、彼はバイロンやロッシーニの
ロマン的な幻滅や享楽的な懐疑論(もっとも偉大なものとしてのみ
この二人を名指すのだが)の時代にあって、
自己の青春の夢、カントやシラーの夢を保持しつづけた。
彼はあたらしい諸世代のなかのひとりの異邦人、
他の世紀の人間――むしろ諸世紀を超えた人間であった。
したがって彼は友人たちにも理解されなかった。
ただ彼は、彼らのなかのすぐれたひとたちに、
――他の時代からきたひいとりの天啓者にさしむけられているような、
宗教的ななにものかが感じられる尊敬をひきおこしていた」(P100)

「ふしぎなことに、彼は――
おそらくたいして理解の度はましていないにしろ、
われわれの時代にいっそう近いのである。
大衆の本能は彼のうちに、彼の『第九』のうちに、
もはや過去ではなく未来をおぼろげながら感じていて、
彼はその未来のほとんど神話的な先駆としてあらわれているのだ。
なぜなら、たとえ事実において『第九』が
人類の偉大な一時代の帰結であり、
その時代の理性と心情とのあこがれの完成であるとしても、
――そしてたとえこの時代が過ぎさっていたとしても――
この時代は、いまやわれわれが経過している鉄時代
(黄金時代に対して荒廃の時代)のなかに、
砂漠にみすてられた寺院のような、
人間の友愛によって理性と歓喜のうちにうちたてられた
この地上の神の王国の大いなる『夢』――
つねに人間の心情にはぐくまれていた――の不滅の証言を、
その生き残りたちにのこしたからである」(P100)

「エリート〔選良階級〕より以上に民衆が、
――彼らの頌め歌が音楽を超えたものに
むけられているといって眉をひそめる
純粋音楽家たちのくやしがりをものともせず、
あらゆる音楽作品のなかで『第九交響曲』に
つねに特別な場所をあたえていることは、
なんといっても感動的である」(P100)

「音楽と思想は犠牲にしあうことなく
相互にゆたかになっている。そして、
この二つのものがそこでたがいに
彼らの和音を実現することができたということは、
この交響曲の大きな勝利なのだ」(P100~101)

「『第九』という巨人的な建設作業も、
これらの年々のベートーヴェンの精神を
みたすにはいたらなかった(中略)
『第九』が仕上げられるまえに、
ベートーヴェンはすでに他の地平をかいま見てしまった。
この記念碑の建設で彼に課せられていた諸法則の拘束自体が、
障壁をとびこえる要求に駆られている独立の精神をめざめさせる。
ベートーヴェンは『第九』から『三十三の変奏曲』作品一二〇、
『バガテル』作品一二六という、
それらの価値が正当に歴史に位置づけられていない
二つの自由な作品へとのがれでる」(P104)

「われわれはベートーヴェンの早まった寂滅を
どんなに惜しんでも惜しみたりない。
彼は四重奏曲や交響曲においてと同様に、
鍵盤音楽の領域でも、
すべてのものを更新しつつあった」(P104)

「この『第九交響曲』創造の時期は、
要するに彼の生涯のもっとも充実した
幸福なもののひとつであった。
その最後の年々は、解放された魂が
ただ苦悩によって創りなすよろこびのほかには
すべてのよろこびから解脱し、
死へのゆるやかな準備があったのみであるというような、
地上の物音からまったくとざされた孤独者、
偉大な敗北者の伝説が、あまりにも信じられすぎている。
この一八二二年と二三年という年月ほど、
彼が樫の老木のように大地にしっかりと
つなぎとめられていたことはかつてなかったといえよう」(P120)

「彼は生のいただきにふれる。
そしてなお力にみちあふれる。
彼は自己の芸術の完全な支配権をかちえた。
彼はほの見えたあたらしい諸世界の敷居にいる。
彼が言っているように、
みずから《ふたたび緑に萌える!》のを感じているいま、
彼にとって創造できないなにものがあるだろうか!
われわれは、森のあたらしい道の十字路にたたずみ、
壮大な課題のなかでためらい、みずからのゆたかさに当惑し、
偉大な諸計画のどれかによって
自己の創造のあたらしい時代をはじめようと
思いめぐらしている彼を見る。不安はすこしもない!
地平は限りなくひらけている」(P126)

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【付録「ノートⅠ『第九』の楽器法について」から】
「われわれがもはやベートーヴェンの交響曲を
それらが書かれた条件で聴くことはない、
すなわち今日の演奏会場はあまりにも大きくなりすぎていて、
ある種のぼかしの効果は消えるか聴きのがされるということである」(P128)

【付録「ノートⅢ シェリングの象徴主義と『第九』」】
「絶望から歓喜への道は、二つの実験的な未完成の段階をへる。
すなわち自然への依存と、夢想への逃避である。
絶望は人類共同体における歓喜によって終局的に克服される。
『第九交響曲』の大詰と、『ファウスト』第二部のそれとが
いかに比較されることか!
ゲーテとベートーヴェンとによって与えられた二つの解決は、
力づよい個人主義から人類共同体への回帰によって血縁づけられている。
しかしファウストは老ゲーテのように、人類への行動のなかで孤立し、
大衆のために働くが、彼らのよろこびや苦しみには加わらない。
彼は大衆との接触をひそかに嫌悪している。
――ベートーヴェンは彼らといりまじる。
彼は全世界を抱擁する」(P134)

【付録「ノートⅣ『第九交響曲』作曲当時の、
ヴァルトミュラーによるベートーヴェンの肖像」】

「私が語ってきた年々における
ベートーヴェンのもっともすぐれた肖像は、
私が『復活の歌』の巻頭にかかげた
ヴァルトミュラーのそれである(中略)
ヴァルトミュラーは彼の肖像を
記憶によって仕上げなくてはならなかった(中略)
ワグナーはヘルマン・ヘルテルに書いた。
《私はこのベートーヴェンの肖像を
私の知っている他のすべてにまさるものだと思う。
このベートーヴェンはあらゆる気どりから自由である。
つまりベートーヴェンの真の肖像である》」(P135~136)

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