死と向き合う
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はっきりしていることはただひとつだけ
生きていたいと思ったら死ぬ覚悟を決めること(P70)
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辻井喬著『死について』思潮社
2013年に86歳で亡くなった詩人・辻井喬が、2012年に出した詩集である。自らに近づく死の足音を聞き、その気配を感じながら書かれたであろう詩篇がまとめられている。
人間のみならず、生あるものは必ず死ぬ。分解されることを死とするなら、生命をもたない物体もまた死ぬと言えるかもしれない。有情・非情にわたる生死のことわり。理性で了解しきることはできないだろうが、そういうものだと受け止めることはできるだろうか。
事故や災害で即死しても、病院で生命維持装置につながれて緩慢に死んでいくのであっても、きっとその瞬間には、目の前に「死」が立つ。その表情は一人ひとり違うのだろう。恐ろしい形相で今にも喰らいつきそうな悪鬼が現われるかもしれないし、やわらかい光の笑顔に包まれて、すべてが軽くなるのかもしれない。どのような死と出合うにせよ、終わりに臨む覚悟だけは決めておきたい。
子どもへの最良の人生教育は、親の生き様と死に様ではないかと思う。もっと多くの人が辻井喬のように死と向き合い、死の意味を問いかけてくれたら、後に続く子どもたち、孫たちの人生を、より実り豊かなものにできるのではないか。人間は死とともにあるときのみ真実なのだから。
【「別れの研究」から】
「光が別々の方向に走り去ること
それが別れだと思っていた
しかし一方が消えてしまうような
そんな別れもあるのだった
それは意志を持って別れるのではなく
別れさせられるのでもない空間の出現なのだ
どんな人でもいずれはそのなかに入るのだが
その空間の佇まいについては
戻って来た人がいないので分らない」(P10)
【「病院にて」から】
「自然の死は情を挟まないから
それ自体が花なのだ星の誕生なのだ」(P20)
「もう宗教改革からでさえ長い時間が過ぎたので
人類全体が仏様のようになってもいい頃だと思うが
そう言った途端キリスト教徒は怒りの声をあげ
イスラム圏ではアラーの神への祈りの声が高まった
仏様のようにという形容がよくなかったらしい
地球全体がおかしいと口々に言いながら
僕らは族長が支配していた時代の元気を保ち
テロ 威嚇 暴力 蜂起はいよいよ盛んで
自ら自由 平和 人権の使徒と称する国もあって
彼らを論破しようと勇んだ学生時代であったが
それなら君は仏になった詩人を知っているのかと
反問されて だらしなく俯いてしまい
いまでは余命いくばくかを数える体たらくなのだ
それに詩人は皆異議申し立ての姿勢なのだから
どんなに間違っても仏になるはずがないのだ」(P22~23)
【「一途の川」から】
「たくさんの精虫が泳いでいる
そのなかの一匹が卵子に辿り着く
一途な努力の結果生れた生命は
運が良かったのかそれほどでもなかったのか
いまのような時代になるとそれはよく分らない
はっきりしているのは人間の意思など
いかほどのものでもないということ
どうやら川の数は三途どころではなく
とても多いらしい」(P26)
【「繃帯」から】
「死者は異議申し立ての声をあげなければならない
ことに戦争で死んだ若者たちはそうだ
きっとその時 神なき国の鎮魂歌が可能になる
雅楽でもなく行進曲でもない曲は
おそらく楽譜には書けない
見えない薄翅蜉蝣や桐一葉が落ちる時立てる音
それを聴くために僕は死のうとしている」(P38)
「おそらく僕はどこにいても孤りだったのだ
死んだ仲間が一人も戦線から逃げなかったように
微笑を浮べて目を閉じた波打際の死体の表情も
みんな一直線に大義の方を向いていた」(P40)
「しかし人間の生死はそんなに重いのかと
自分のことでなければ考えは自由に動き出す
いのちを掌に乗せられないことは確かだが
それにしては核から太陽を取り出したり
山を崩したり海を埋めたりしているのはなぜか
制御できれば核爆発は人間のためになるという嘘
自然の造り変えはGDPを増大させ
GDPの増大は人間の幸せに直結するという嘘
それらは総て自己催眠の紙芝居と言えるだろうか
あるいは繃帯は嘘で分解しそうな人類を
人間の形に繋ぎとめておく最後の衣装かもしれない」(P44~45)
【「足踏み」から】
「名前のない島が列なっている
かつては北海道から琉球弧へ続く日本列島だった
いまそれらの島々が生命を吹き返すためには
まず生き残った者とその子孫たちが
死者の霊を弔うことだ
そのために今生きている者が死ななければならないなら
それでもいいではないか
大義ではない もっと人間的なものが
求められているのかもしれないのだから」(P66)
「そこではっきりしていることはただひとつだけ
生きていたいと思ったら死ぬ覚悟を決めること」(P70)
【「終章」から】
「生の意味が分らなければ死もまた覚束ないという事」(P77)
「権力の決定には涙ぐましいほど従順で命令には忠実
これでは市民革命も無理と識者は匙を投げた
しかしその従順さのなかに誇りが隠され
狡さも計算も仕組まれていることは
ずっと前に魯迅の阿Qが指摘していたのだ
そこでむしろ啓蒙家の方に問題があった
悪の華を摘んだことのない理論家は
言葉の効果を過信しいて論理と思想を取り違える」(P79)
「かつて空は落ちてくる小鳥のためにあったが
今はただ排気ガスにぼんやり覆われているだけ
そんな際に恩寵を称える歌を唄うのは
季節はずれの応接間の装飾品より醜い
こんな具合だから誰も歌うことができないのだ
カナリアなら忘れたで済むが
人間の場合はやはりそれは変節だろう
かつて武士道とは死ぬことと考えられたが
今の世の中には市場法則はあっても道はないのだ」(P82~83)
「そう気付くと自分に残されているのはただひとつ
生を生たらしめる生きかたをすることだった
少し遅いのかもしれないけれども」(P84)
【「あとがき」から】
「私は今までに十数冊の詩集を出してもらったが、
それはいずれも時代やその変化のなかで
どう生きるかが意識の中心になっていた。
今度はじめて、
自分はどう死ぬべきかを考える立場に立って
書いていることに気付いた」(P86)
「私はいくつかの賞に、詩集や、句集、歌集を
推薦する立場にあったが、気が付くと選ぶ基準が、
生きていくための切実さに裏付けられているかどうかを、
まず考えるようになっていた」(P87)
「現在のわが国で
美しい死顔を持つというのは不可能なのではないか」(P88)
「この詩集はどう生きるかではなく、
美しく死ねないという枠のなかで
死について考える作品集なのだ」(P89)
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はっきりしていることはただひとつだけ
生きていたいと思ったら死ぬ覚悟を決めること(P70)
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辻井喬著『死について』思潮社
2013年に86歳で亡くなった詩人・辻井喬が、2012年に出した詩集である。自らに近づく死の足音を聞き、その気配を感じながら書かれたであろう詩篇がまとめられている。
人間のみならず、生あるものは必ず死ぬ。分解されることを死とするなら、生命をもたない物体もまた死ぬと言えるかもしれない。有情・非情にわたる生死のことわり。理性で了解しきることはできないだろうが、そういうものだと受け止めることはできるだろうか。
事故や災害で即死しても、病院で生命維持装置につながれて緩慢に死んでいくのであっても、きっとその瞬間には、目の前に「死」が立つ。その表情は一人ひとり違うのだろう。恐ろしい形相で今にも喰らいつきそうな悪鬼が現われるかもしれないし、やわらかい光の笑顔に包まれて、すべてが軽くなるのかもしれない。どのような死と出合うにせよ、終わりに臨む覚悟だけは決めておきたい。
子どもへの最良の人生教育は、親の生き様と死に様ではないかと思う。もっと多くの人が辻井喬のように死と向き合い、死の意味を問いかけてくれたら、後に続く子どもたち、孫たちの人生を、より実り豊かなものにできるのではないか。人間は死とともにあるときのみ真実なのだから。
【「別れの研究」から】
「光が別々の方向に走り去ること
それが別れだと思っていた
しかし一方が消えてしまうような
そんな別れもあるのだった
それは意志を持って別れるのではなく
別れさせられるのでもない空間の出現なのだ
どんな人でもいずれはそのなかに入るのだが
その空間の佇まいについては
戻って来た人がいないので分らない」(P10)
【「病院にて」から】
「自然の死は情を挟まないから
それ自体が花なのだ星の誕生なのだ」(P20)
「もう宗教改革からでさえ長い時間が過ぎたので
人類全体が仏様のようになってもいい頃だと思うが
そう言った途端キリスト教徒は怒りの声をあげ
イスラム圏ではアラーの神への祈りの声が高まった
仏様のようにという形容がよくなかったらしい
地球全体がおかしいと口々に言いながら
僕らは族長が支配していた時代の元気を保ち
テロ 威嚇 暴力 蜂起はいよいよ盛んで
自ら自由 平和 人権の使徒と称する国もあって
彼らを論破しようと勇んだ学生時代であったが
それなら君は仏になった詩人を知っているのかと
反問されて だらしなく俯いてしまい
いまでは余命いくばくかを数える体たらくなのだ
それに詩人は皆異議申し立ての姿勢なのだから
どんなに間違っても仏になるはずがないのだ」(P22~23)
【「一途の川」から】
「たくさんの精虫が泳いでいる
そのなかの一匹が卵子に辿り着く
一途な努力の結果生れた生命は
運が良かったのかそれほどでもなかったのか
いまのような時代になるとそれはよく分らない
はっきりしているのは人間の意思など
いかほどのものでもないということ
どうやら川の数は三途どころではなく
とても多いらしい」(P26)
【「繃帯」から】
「死者は異議申し立ての声をあげなければならない
ことに戦争で死んだ若者たちはそうだ
きっとその時 神なき国の鎮魂歌が可能になる
雅楽でもなく行進曲でもない曲は
おそらく楽譜には書けない
見えない薄翅蜉蝣や桐一葉が落ちる時立てる音
それを聴くために僕は死のうとしている」(P38)
「おそらく僕はどこにいても孤りだったのだ
死んだ仲間が一人も戦線から逃げなかったように
微笑を浮べて目を閉じた波打際の死体の表情も
みんな一直線に大義の方を向いていた」(P40)
「しかし人間の生死はそんなに重いのかと
自分のことでなければ考えは自由に動き出す
いのちを掌に乗せられないことは確かだが
それにしては核から太陽を取り出したり
山を崩したり海を埋めたりしているのはなぜか
制御できれば核爆発は人間のためになるという嘘
自然の造り変えはGDPを増大させ
GDPの増大は人間の幸せに直結するという嘘
それらは総て自己催眠の紙芝居と言えるだろうか
あるいは繃帯は嘘で分解しそうな人類を
人間の形に繋ぎとめておく最後の衣装かもしれない」(P44~45)
【「足踏み」から】
「名前のない島が列なっている
かつては北海道から琉球弧へ続く日本列島だった
いまそれらの島々が生命を吹き返すためには
まず生き残った者とその子孫たちが
死者の霊を弔うことだ
そのために今生きている者が死ななければならないなら
それでもいいではないか
大義ではない もっと人間的なものが
求められているのかもしれないのだから」(P66)
「そこではっきりしていることはただひとつだけ
生きていたいと思ったら死ぬ覚悟を決めること」(P70)
【「終章」から】
「生の意味が分らなければ死もまた覚束ないという事」(P77)
「権力の決定には涙ぐましいほど従順で命令には忠実
これでは市民革命も無理と識者は匙を投げた
しかしその従順さのなかに誇りが隠され
狡さも計算も仕組まれていることは
ずっと前に魯迅の阿Qが指摘していたのだ
そこでむしろ啓蒙家の方に問題があった
悪の華を摘んだことのない理論家は
言葉の効果を過信しいて論理と思想を取り違える」(P79)
「かつて空は落ちてくる小鳥のためにあったが
今はただ排気ガスにぼんやり覆われているだけ
そんな際に恩寵を称える歌を唄うのは
季節はずれの応接間の装飾品より醜い
こんな具合だから誰も歌うことができないのだ
カナリアなら忘れたで済むが
人間の場合はやはりそれは変節だろう
かつて武士道とは死ぬことと考えられたが
今の世の中には市場法則はあっても道はないのだ」(P82~83)
「そう気付くと自分に残されているのはただひとつ
生を生たらしめる生きかたをすることだった
少し遅いのかもしれないけれども」(P84)
【「あとがき」から】
「私は今までに十数冊の詩集を出してもらったが、
それはいずれも時代やその変化のなかで
どう生きるかが意識の中心になっていた。
今度はじめて、
自分はどう死ぬべきかを考える立場に立って
書いていることに気付いた」(P86)
「私はいくつかの賞に、詩集や、句集、歌集を
推薦する立場にあったが、気が付くと選ぶ基準が、
生きていくための切実さに裏付けられているかどうかを、
まず考えるようになっていた」(P87)
「現在のわが国で
美しい死顔を持つというのは不可能なのではないか」(P88)
「この詩集はどう生きるかではなく、
美しく死ねないという枠のなかで
死について考える作品集なのだ」(P89)
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