詩人と哲学者の対話

~~~~~~~~~~
なかでも悪いのは、そうすることによって
民衆が判断しないように、議論しないように、
考えないように慣らし、民衆を愚かにしてゆくということである。
愚者化こそ最悪の倒錯なのだ
(ウナムーノ「それは革命ではない」P199)
~~~~~~~~~~

DSC02693.jpg
A・マタイス/J・マシア編

19世紀末から20世紀初頭のスペインを代表する思想家、ドン・ミゲル・デ・ウナムーノとホセ・オルテガ・イ・ガセット。20歳近くの年齢差があり、気質も異なる2人(どちらかといえばウナムーノは心情の人・詩人、オルテガは知性の人・哲学者)は、ときに師弟として、ときに同僚として、ときに論敵として、生涯にわたり対話を尽くした。本書には、そんな2人の往復書簡と小論集を収録している。

【往復書簡から】
「古典主義とはつまり誠実ということです。
世界は誠実という推進力によって進んでいきます」
(オルテガからウナムーノへ 1906年12月30日 P48)

「私は自分以外の同胞とは精神的に異なっています。
率直で自分独自の存在であるために、
きわめて異端分子となっているのです(中略)
自尊心というものは長すぎて歩くことを妨げる服のようなものですが、
それを短くし、文学者としての生き方を離れて、
自分らしい道を歩み始めたときから私はそうなのです」
(オルテガからウナムーノへ 1907年2月17日 P60)

【小論集から】
「天才に対する期待(これは
宝くじに一発を期待する精神の現われとなる)を
集団的魂から追い出し、刈りこむこと、
そして才能の慎重かつ着実な歩みを助長することであります(中略)
祖国のためにむしろ私が望むのは(中略)
才能は中位であっても誠実で根気強い百人の人間の仕事のほうです」
(ウナムーノ「青年の魂」P112)

「天才が到来するためには、
われわれが彼にふさわしいものになる必要がある。
彼をさそい出さなければならぬ。
もしわが国の青年たちが天才の到来を本当に信じているならば、
自分たち自身のなかから引き出すことによって、
すでに天才を産み出していたはずである。
もしも天才に対する信仰を持っているならば、
すでに天才を作りあげていたはずなのだ。
なぜならば信仰はその対象を作りあげるものだからである」
(ウナムーノ「青年の魂」P118)

「真の謙遜はひとつしか存在しない。
それは誠実である。自分を謙遜に見せかけようとか、
あるいはつつしみ深く見せかけようと心をくだく者は、
本物の傲慢を培う人である。正しいのは、
あるがままの自分であること、自分自身の魂をとらえて、
そして公衆の広場に立って、力強い腕で、
そこを通りすぎるすべての人の視線と踏みつけに
おのれの魂をさらすことである」
(ウナムーノ「青年の魂」P125)

「もしもすべての若者が、天才への期待を持ちつつ、
天才の先駆けたらんと努めるならば、
まもなく彼らのあいだから天才たちが輩出するであろう」
(ウナムーノ「青年の魂」P129)

「青年よ、君の姿が他人にどう映るかを見てはいけない。
君自身の内部に映る彼らの姿を見たまえ。
君の内部で他の者たちが結ばれているのを見きわめないうちに、
他の者たちのあいだに散らされている君の姿を捜してはいけない。
もし君が彼らを君の精神のうちに一致させるならば、
すぐにも彼らを生のうちに一致させることができるであろう」
(ウナムーノ「青年の魂」P131)

「われわれは快楽のなかでたがいに消耗するが、
苦悩のなかではたがいに形成しあうということである。
そして苦しみはきわめて緩慢に、けっして急がずにろくろを回し、
ゆっくりと成熟と光沢の作業を促進するのだ」
(オルテガ「新・注記」P151)

「生自体にとって、歴史的生自体にとって、
歴史はつねに刷新であり、つねに革命なのである」
(ウナムーノ「生と歴史」P189)

「良心に反して投票することよりさらに悪いのは、
無意識のうちに、自分がいま何を投票するかを
知らずに投票することかもしれない」
(ウナムーノ「それは革命ではない」P197)

「なかでも悪いのは、そうすることによって
民衆が判断しないように、議論しないように、
考えないように慣らし、民衆を愚かにしてゆくということである。
愚者化こそ最悪の倒錯なのだ」
(ウナムーノ「それは革命ではない」P199)

「哲学は透明性への巨大な欲求であり、断固たる正午の意志なのだ。
哲学の根源的意図は、隠されあるいは被われているものを
表面に持ち来たり、解明し、あらわにすることである」
(オルテガ「神秘家に対して神学者を擁護する」P214)