亡き妻へ贈る愛のあかし
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大事なのはいつも立ち上がってゆくことだ
おのれの傷口や 涙のなかからさえ
最後まで希望を太陽を抱いてゆくことだ
それが冬にうち勝つ きみの冬の歌だ
(「不幸は忍び足で」から P19)
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大島博光詩集『老いたるオルフェの歌』宝文館出版
本書はアラゴンやネルーダの翻訳者として著名な詩人・大島博光が、亡き妻に捧げた詩集である。大島の思いは「序詩」に明らかだ。
【「序詩」】
妻を泣いたわたしの歌は
死にうち勝つ生の歌には
おそらくほど遠いだろう
くらべようもなく力弱いだろう
それでもそれは 死とたたかう
愛の歌ではありうるだろう
それでもそれは 死から勝ちとった
涙のひかるわたしの戦利品なのだ
それでもそれは 死んだ妻に贈る
わたしの愛のあかしなのだ
(「序詩」全 P13)
大島の妻・静江は1993年2月9日、68歳で世を去った。本書は1995年2月9日に発行されている。妻の死の直後から書かれたもののようで、大島は「別れの悲しみから、生き残った者の苦しみから、これらの詩はおのずと生まれた」と述べている。
そこにいなくてはならない人がいない切なさは、からだの中をかきむしりたくなるようなものだろうか。1910年生まれの大島は、妻の死から13年後の2006年に没した。
本書の「あとがき」には「詩のかたちによる詩論の試み」と題する詩も収められている。晩年の著者の詩に対する考え方が明かされていて興味深い。

大島自筆の署名が入っている
【本書から】
「大事なのはいつも立ち上がってゆくことだ
おのれの傷口や 涙のなかからさえ
最後まで希望を太陽を抱いてゆくことだ
それが冬にうち勝つ きみの冬の歌だ」
(「不幸は忍び足で」から P19)
「そうだ そのとおりだ われもまたふるいたち
ひとをまたはげますことこそ 詩人の任務だ」
(「きみが地獄の岩に」から P24)
「きみがやってくると そこに泉が湧いた
冷めたい水が わたしののどに沁みた
きみがやってくると そこはお花畑になった
荒れはてたわたしの眼は やわらいだ
きみがやってくると そこは海になった
わたしは汗まみれの身を そこに浸した
きみがやってくると わたしは風になった
わたしは風の愛撫で きみをつつんだ」
(「きみがやってくると」全 P30)
「他者(ひと)につくし つとめをはたし
青空のような 大いなる死を
死んでゆくひとは
さいわいなるかな」
(「往生ぎわのわるい男は」から P109)
「きみのおかげで 孤独者(ひとりもの)のわたしは
ひとびとのなかの ひとりとなって
みんなといっしょに 歩くことができた
きみのおかげで この人生を
わたしは 歩きながらうたい
うたいながら 歩くことができた(中略)
だが 澱んでこもる水は 腐る
敵を見失って おのれの弱さや
くら闇にひたるものは 崩れ落ちる
わたしも 涙を火に変えよう
きみを歌うことが 他者をうたい
絶望にうちかつ 希望の歌となるように
わたしは 歌のしらべを変えよう
きみの生と愛を うたうことが
死にうちかつ 生の勝利の歌となるように」
(「きみのいない時間と空間のなかに」から
P117~119)
「わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしもひとの眼や耳にひびきとどくような
ひとつのひらめきもひびきもそこにないなら
わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしもひとの心に共鳴りを呼び起こすような
ひとつの叫びも呼びかけもそこにないなら
わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしも詩を生みだすひとつのイメージもなく
夢もなく現実のひとかけらもそこにないなら
わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしもひとの窓にとどくひとつの光もなく
ひとを酔わせる酒の一滴もそこにないなら
わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしもひとつの深淵も真実もそこになく
胸の高鳴りも羽搏きのひとつもそこにないなら
どうしてそれをも詩と呼ぶことができよう
それはとるに足らないがらくたにすぎない
そのときわたしは詩人ではなかったのだ
わたしは芸術のための芸術の立場に立って
このことを言ったり考えたりはしていない
わたしは人生のため万人(みんな)のための詩を考える
わたしもまた政治詩をいくつか試みてきた
その政治詩もまた詩的感動をとおしてしか
その政治的メッセージを伝ええないであろう
わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしも嵐に鳴る森の木の葉のざわめきもなく
戦争を憎み怒る人びとの声のこだまもないなら
歴史をつくる人たちの足音のひとつもなく
もしもそこに一行の詩さえもないのなら
どうしてそれを詩と呼ぶことができよう
そのときわたしは詩人ではなかったのだ
(「わたしが詩だと思って……
詩のかたしによる詩論の試み」全 P149~151)
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大事なのはいつも立ち上がってゆくことだ
おのれの傷口や 涙のなかからさえ
最後まで希望を太陽を抱いてゆくことだ
それが冬にうち勝つ きみの冬の歌だ
(「不幸は忍び足で」から P19)
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大島博光詩集『老いたるオルフェの歌』宝文館出版
本書はアラゴンやネルーダの翻訳者として著名な詩人・大島博光が、亡き妻に捧げた詩集である。大島の思いは「序詩」に明らかだ。
【「序詩」】
妻を泣いたわたしの歌は
死にうち勝つ生の歌には
おそらくほど遠いだろう
くらべようもなく力弱いだろう
それでもそれは 死とたたかう
愛の歌ではありうるだろう
それでもそれは 死から勝ちとった
涙のひかるわたしの戦利品なのだ
それでもそれは 死んだ妻に贈る
わたしの愛のあかしなのだ
(「序詩」全 P13)
大島の妻・静江は1993年2月9日、68歳で世を去った。本書は1995年2月9日に発行されている。妻の死の直後から書かれたもののようで、大島は「別れの悲しみから、生き残った者の苦しみから、これらの詩はおのずと生まれた」と述べている。
そこにいなくてはならない人がいない切なさは、からだの中をかきむしりたくなるようなものだろうか。1910年生まれの大島は、妻の死から13年後の2006年に没した。
本書の「あとがき」には「詩のかたちによる詩論の試み」と題する詩も収められている。晩年の著者の詩に対する考え方が明かされていて興味深い。

大島自筆の署名が入っている
【本書から】
「大事なのはいつも立ち上がってゆくことだ
おのれの傷口や 涙のなかからさえ
最後まで希望を太陽を抱いてゆくことだ
それが冬にうち勝つ きみの冬の歌だ」
(「不幸は忍び足で」から P19)
「そうだ そのとおりだ われもまたふるいたち
ひとをまたはげますことこそ 詩人の任務だ」
(「きみが地獄の岩に」から P24)
「きみがやってくると そこに泉が湧いた
冷めたい水が わたしののどに沁みた
きみがやってくると そこはお花畑になった
荒れはてたわたしの眼は やわらいだ
きみがやってくると そこは海になった
わたしは汗まみれの身を そこに浸した
きみがやってくると わたしは風になった
わたしは風の愛撫で きみをつつんだ」
(「きみがやってくると」全 P30)
「他者(ひと)につくし つとめをはたし
青空のような 大いなる死を
死んでゆくひとは
さいわいなるかな」
(「往生ぎわのわるい男は」から P109)
「きみのおかげで 孤独者(ひとりもの)のわたしは
ひとびとのなかの ひとりとなって
みんなといっしょに 歩くことができた
きみのおかげで この人生を
わたしは 歩きながらうたい
うたいながら 歩くことができた(中略)
だが 澱んでこもる水は 腐る
敵を見失って おのれの弱さや
くら闇にひたるものは 崩れ落ちる
わたしも 涙を火に変えよう
きみを歌うことが 他者をうたい
絶望にうちかつ 希望の歌となるように
わたしは 歌のしらべを変えよう
きみの生と愛を うたうことが
死にうちかつ 生の勝利の歌となるように」
(「きみのいない時間と空間のなかに」から
P117~119)
「わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしもひとの眼や耳にひびきとどくような
ひとつのひらめきもひびきもそこにないなら
わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしもひとの心に共鳴りを呼び起こすような
ひとつの叫びも呼びかけもそこにないなら
わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしも詩を生みだすひとつのイメージもなく
夢もなく現実のひとかけらもそこにないなら
わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしもひとの窓にとどくひとつの光もなく
ひとを酔わせる酒の一滴もそこにないなら
わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしもひとつの深淵も真実もそこになく
胸の高鳴りも羽搏きのひとつもそこにないなら
どうしてそれをも詩と呼ぶことができよう
それはとるに足らないがらくたにすぎない
そのときわたしは詩人ではなかったのだ
わたしは芸術のための芸術の立場に立って
このことを言ったり考えたりはしていない
わたしは人生のため万人(みんな)のための詩を考える
わたしもまた政治詩をいくつか試みてきた
その政治詩もまた詩的感動をとおしてしか
その政治的メッセージを伝ええないであろう
わたしが詩だと思って書いたもののなかに
もしも嵐に鳴る森の木の葉のざわめきもなく
戦争を憎み怒る人びとの声のこだまもないなら
歴史をつくる人たちの足音のひとつもなく
もしもそこに一行の詩さえもないのなら
どうしてそれを詩と呼ぶことができよう
そのときわたしは詩人ではなかったのだ
(「わたしが詩だと思って……
詩のかたしによる詩論の試み」全 P149~151)
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